部屋に置かれた物はすべて魂をもっている | イージー・ゴーイング 山川健一

部屋に置かれた物はすべて魂をもっている

 好きなものを書くノートは、なんでもいいというわけじゃない。
 あるいは好きなものを書くノート型のコンピュータは、なんでもいいというわけじゃないんだ。好きなものリストがたまってくると、それはやがてあなた自身に限りなく近いとても大切なものになる。
「わたし、こんなに大切なことを書くのに、なんでキティのノートなんか使っちゃったんだろう?」
 その時に後悔しても、遅いよ。
 コンピュータならデータを移すことは可能だけれど、それにしたって愛機とすごした時間はとり戻せない。
 心から愛せるデザインと機能をもったノートやコンピュータを選ぶべきだ。
 ノートというのは象徴で、他のこともぜんぶ同じだと思う。
 たとえば自分の部屋は、なにからなにまで自分の好きなもので構成すべきだ。そういうことをおろそかにするところから、自分を見失う迷路にさまよいこんでしまうのではないだろうか。
 たとえば友達が、趣味の違う本やCDやゲームを持ってきたら、一日も早く返すべきだとぼくは思うね。
 床や壁の色はなかなか選べないだろうが、それもカーテンや敷物でカバーすることはできる。本棚に立てかけてある本や雑誌、カウンターテーブルの上の小物、紅茶カップやコーヒーカップ、もちろん紅茶やコーヒーの銘柄もだいじだ。
 携帯電話のデザイン、ストラップ、一枚のシャツやセーターから靴にいたるまで、べつに高価なブランド品である必要はまったくないんだけど、自分が好きになれるものである必要がある。
 壁に架ける小さな写真や、ポスターにしてもそうだ。
 あるいはノートに向かう時に、「壁に架ける」と書くか「壁に掛ける」と書くのか、「壁にかける」にするのかということも大切だ。
 こだわり、というかな。
 若い人のなかに和風趣味が流行っているらしく、余計な物を置いておくのが嫌いだという人が多い。きれいな畳に布団を敷いて寝て、朝はたたんで押し入れにしまう。座り机に近くで採集してきた苔の小さな鉢を置いて鑑賞する。本棚には、歴史の本しか並んでいない。それもまた、確固としたスタイルだ。
 今は、物が溢れている。だからぼくらの部屋も、ごったかえすことになる。
 そういう時は、不要なものを処分してしまうんだ。
 先日、ぼくも本や家具やCDやビデオやカセットテープやスピーカーやコンピュータやプリンタなどを大量に処分した。友達にあげたり古本屋に売ったり、捨てたりしたんだ。
 シンプルになった部屋を見て、思ったものだよ。
「ああ、そうそう。これが今の俺なんだよな」
 おかしなことを言うようだが、言葉に宿る魂を言霊というように、物にも魂というものがあるんじゃないだろうか。
 ボーイフレンドやガールフレンドにもらった大切なプレゼントでも、自分が好きになれないものだったら、正直にそう伝えて処分しよう。自分はなぜこういう絵柄のカップが好きになれないのかという話は、あなた自身を相手に伝えることにもなる。
 部屋に置かれた物はすべて魂をもっていて、お互いに影響し合っているのではないか。
 そしてもちろん、彼らの魂はあなたの魂と、あなたが深く眠った頃にお話しているんだよ。
 だから、嫌いなものはなにひとつ置いておかないほうがいいんだ。
 ちゃんとした部屋でずっと暮らしていると、ちゃんとした自分になれるものだよ。
(Illustration and Photo by Hiromi)