まず、弱い自分を認めることが大切だ | イージー・ゴーイング 山川健一

まず、弱い自分を認めることが大切だ

 人間はとても弱い存在だから、自分を大切にすることより、社会の枠組みというものに自分を合わせてしまいたくなる。
 たとえば無名の大学よりは有名な大学に進学したい。
 名前を言えば誰でも知っているような会社に就職したい。
 一度その会社に入ったからには、せめて課長ぐらいまでは出世したい。
 バンドをやっている人ならメジャーレーベルでデビューしたいし、絵を書いている人なら一流の画廊で個展を開きたい。作家志望の人なら、一冊でいいから自分の本を出版してみたい。
 あるいは起業して、お金儲けがしたい。
 女の人なら、申し分のない男性と恋をして、やがて結婚したい。
 つまり、サクセスしたい。そういう欲望は、個性的な自分という存在からは、じつは遥かに遠いものなんだよね。
 だけどサクセスしたいと願うのは人情というもので、そんな自分を否定しないこともまた大切なのかもしれない。
 人生の階段というものは、登っていくほうが降りていくよりも遥かに楽だ。
 苦労しながら受験勉強する。
 こつこつ仕事する。
 その過程は遊び呆ける毎日より大変かもしれないが、精神的には充実感があるだろう。周囲の人も、そんな努力を認めてくれるにちがいない。
 そういう場所からゆっくり遠ざかるには、勇気がいる。
 階段を降りてゆくというのは、具体的に言うなら会社を辞めたり、昨年より今年の年収がダウンしたり、離婚したり、長年培ってきた夢のひとつをあきらめるということだ。あるいは、半年なり一年なり、仕事を休んでしまうことだ。
 こうしたことを実行に移すには、本人にとっては周囲の人間が想像する以上のエネルギーが必要だ。
 だから、精神的にまだ無理だなと思ううちは、階段を登る努力を続ければいい。
 人間は、ほんとうに弱い存在だからだ。
 でもいつか、些細なきっかけが見つかるかもしれない。ある日突然、熟した果実が木の枝からポトリと地面に落ちるように、緩やかに下る心地の良い下り階段が見えるかもしれない。その時には、自分らしいその階段を降りてゆく勇気をもとうね。
 意志の力で無理して階段を降りようとするのは、階段を登り続けるよりも深刻なストレスをもたらすかもしれない。でも、自然に降りていけるなと思う時が、やってくるかもしれないよ。
 いちばん大切なのは、無理しないということだ。
 <無理するな>
 それが、十代の頃から変わらないぼくの座右の銘なんだ。
 立身出世、サクセス、成功。
 じつはそれは、ぼくらの弱さから生まれた目標なのだということを知ろう。
 そんなものとは関係なしに生きていきたい。そんなふうにごく自然に思えるチャンスが、いつかきっと巡ってくるだかもしれない。誰にでも、そういうシグナルがある。それを見逃さないことが大切なんだ。
(Illustration and Photo by Hiromi)