誰もが納得できる安息の正義はない。 | イージー・ゴーイング 山川健一

誰もが納得できる安息の正義はない。

今夜は自分に課した禁を破って、個人的な事柄を忘備録的に記しておこうと思う。義理の母が亡くなった。一昨日のことだ。思いのほか深い喪失感の中に、ぼくはいる。山形に来てから父親が死に、夏木陽介が逝き、義理の母が亡くなった。他にも別れはあった。年齢を重ねるというのは、喪失感を重ねることでもあるのだろう。

 

 

夜が過ぎていくのが、カタツムリが刃の上を這っていくように遅く感じられる時、ぼくはゲームに向かう。それが、他のものに代え難い癒しになるからだ。今は、学生達に勧めてもらったFate/Grand Orderをやっている。

 

さっき、ゲームに登場するジェロニモという人物のこんな台詞にぶつかり、ぼくはiPhoneの画面を凝視してしまった。そして、メモを取ったわけだ。

 

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「この大地は厳しい場所だ。誰もが納得できる安息の正義はない。戦って勝ち取ることでしか、正義は得られない。その手段が刀であれ、魔法であれ、言葉であれ」(ジェロニモ/FGO

 

 

深い台詞だと思う。「言葉であれ」という1行が凄い。FGOのシナリオは、やっぱり素晴らしい。

 

刀や魔法や言葉で勝ち取る正義には、2種類ある。倫理的な正義と文学的な正義だ。裏切ってはいけないとか盗んではいけないとか殺してはいけないというのが倫理的な正義である。聖書にでも書いてありそうな、誰にも否定できない正義だ。しかしそれとは別の、文学とでも言うしかない正義も、この地上には存在するのだ。だから人生は厄介なのだろう。

 

裏切るしかなかった、盗むしかなかった、殺すしかなかった。そういう正義に向けて、文学やゲームや映画は、つまり物語は構築されていく。読む者は、そこに生まれるイノセンスに感動するのではないだろうか。

 

いろいろなことを、考える。考えなくていいことまで考える。堀川正美の詩を思い出す。

 

ちからをふるいおこしてエゴをささえ

おとろえていくことにあらがい

生きものの感受性をふかめてゆき

ぬれしぶく残酷と悲哀をみたすしかない。

だがどんな海へむかっているのか。

(新鮮で苦しみ多い日々/堀川正美)

 

豊かだと思っていた海が失われていると感じられる時、両腕を広げて、ぼくはどんな言葉を紡げば良かったのだろうか。お母さんはいま、その海へ帰ろうとしているのだろう。

 

いつもの癖で「ミック・ジャガーなら?」と考える。ミックならきっとこう言うだろう。「キース、表に出て、なにか新しいことを始めようぜ」と。そうだな、それしかないな。ぼくもそうしよう。そのためのプランを立てないとな!

 

毎晩、課題でもないのに長い散文詩をメールしてくれる女子学生がいる。文芸学科の1年生だ。非常に優れた詩的言語の塊を寝る前にベッドで読むのが、日課になっている。優歌、ぼくはこの間話した通りもう詩は書けないんだが、その代わりにこんなツイートをしたよ。どうかな? おやすみなさい。