国破れて山河あり | イージー・ゴーイング 山川健一

国破れて山河あり

3.11以降、さまざまな事がドラスティックに変わってしまった。原発事故が今も継続しているのだという事実が、暗く低く重たい空のようにぼくらの頭上を圧している。それがぼくら全員のベースなのだ。


経済状況は悪化している。アベノミクスの成果が上がっているといくら政府に言われようと、学生達の就活支援をする教員の肌感覚として、先行きの見えない不安を多くの人々が抱えている。なんとか職にありついた卒業生が、職場でハラスメントを受け死んでしまたいと何人も連絡してくる。


若い人達ばかりではなく、定年を控える年代層だって、事実上破綻している年金制度を目の当たりにして、病気になったらアウトだよなと思っている(つまり、それがぼく自身である)。老齢や病を抱えた人達は、息も絶え絶えだろう。


未来が明るいと思えないから、非婚率が上昇し少子化傾向に歯止めがかからない。だが単身で生きるのも、それはそれで不安を抱えることになっているのだろうと思う。結婚は1人では出来ないところが厄介だ。


人間は皆、壊れ物(YES)として生きている。傷を負っているという意味だ。その傷は、じつは1人では癒せない。だが、この不可解な「私」というものを理解してくれる誰かは、なかなか見つからない。ぼくにしたってそうだ。


学生達の前では先生面をして、何の悩みもない大人のフリをして来たが、とんでもない。苦しいことばかりだ。そこへ、追い討ちをかけるように台風や地震などの災害が襲ってくる。一つの災害を復興する前に、次の災害がやってくる。ボランティアに頼るのではもう無理だ。


今なんとかしないと、決してオーバーではなく、国破れて山河ありということになりかねない。ぼくらに出来ることは、それぞれが生活の基盤をしっかりさせること、そのために誰かと助け合うことだ。友情や愛情や誰かを想う気持ちまでが荒廃してしまったとは思いたくないからね。