最後の希望を託すつもりで、僕は「山本太郎」と書く | イージー・ゴーイング 山川健一

最後の希望を託すつもりで、僕は「山本太郎」と書く

五木寛之氏は 1998年に刊行された『大河の一滴』で既にこう書いている。

《小学校六年生では三十パーセント以上の児童たちが「自殺を一度は考えたことがある」というほうにしるしを付けたといいます。
そして、高校三年生になると、約五十パーセント以上、つまり一二人にひとりが実自殺を頭のなかで考えたことがある、死んじゃいたい、と思ったことがあるというのです。これはなんともいえない重いニュースでした。
教育委員会という、いわばお役所が、小学生をふくむ生徒たちにそういう質問をするということだけでもびっくりするのですが、それ以上に回答を見て多くの生徒が〈自殺〉ということを念頭にお問いて毎日をすごしているのかと考えると、本当になんともいえない時代だ、というふうに思います。》(『大河の一滴』)

僕は8年間大学の文芸学科で教員をやったのだが、4人の学生が自殺未遂を起こし、そのケアに当たらなければなかった。幸い4人とも未遂で済んだからよかったが、他学科では実際に亡くなった学生が複数名いる。

五木寛之氏は、さらにこう書いている。

《新聞やテレビのメディアでは、自殺関連記事はできるだけ控えめに扱うようにするという暗黙の了解があります。自殺というものがあまり喜ばしくないことであり、そして社会的な連鎖反応をひきおこす危険性があるから、と説明されていますが、しかし、いまはむしろ、自殺ということの真実を、きちんと正面から目をそらさずに見つめることが大事なのではないか、と、ほくは考えるのです。》(『大河の一滴』)

そして2000年(平成12年)に刊行された『人生の目的』において五木氏は、日本の自殺者数が平成10年から5年連続して3万人をこえているというデータを示したのだった。

今年の7月16日の各新聞は、政府は閣議で2019年版自殺対策白書を決定したことを伝えている。
18年の自殺者数は2万840人(前年比481人減)で、減少は9年連続である。2万1000人を下回ったのは37年ぶりとなる。人口10万人当たりの自殺者数を示す自殺死亡率は16・5で、統計を取り始めた1978年以降、最低を記録した──とある。

本当か、と僕は疑う。

日本人の多くが広く一般的に自殺者の数に注目するようになったのは、ほぼ間違いなく五木寛之氏の著書の功績だろう。五木氏のエッセイは100万部を超える売り上げ部数のことが多く、さらに複数のエッセイでこの事実に触れており、講演会等でもお話しになっているだろうから、どう少なく見積もっても1千万人以上の人々が日本人の毎年の自殺者数のついて考えたに違いない。
その中には教育委員会や、教師たちや、もちろん高級官僚や政治家も含まれている。
彼の中の誰かが、このデータはまずいと考えたとしても不思議では無い。公文書偽造や統計データ改ざんが当たり前の国なのである。しかも今や新聞は安倍政権の広報誌と化している。

もちろん最も大切なのは一人ひとりの「命」だし、自殺した方が何人いるのかと言うデータに重きを置きすぎるのはいかがなものか、と僕も思う。しかしそれは置いておくとして、インターネットでサーチすると以下のような記載があった。



《日本の本当の自殺者は11万人、統計3万は遺書有る場合 変死15万が含まれず、 他の先進諸国の10倍》

https://matome.naver.jp/odai/2131998633461989701
 
《統計上の自殺者数が増えると国としてカッコ悪いからどう見ても自殺でも、遺書が無かったら『不審死』にするそうです。そう云うのが年間3万くらいあるってネットで見たことがあります。だから、本当の日本の自殺者数は年間6万ってことですかねぇ?》(Naverまとめ)

《日本には年間15万人ほどの変死者がいてwhoではその半分を自殺者とし...日本には年間15万人ほどの変死者がいてWHOではその半分を自殺者としてカウントするというから、自殺者は11万人、他の先進諸国の10倍にもなる》(Naverまとめ)

ほんとうのところは、きっと誰にもわからない。1人の人間が生き、そして死んでいくと言う事実がとても重いのだという事しかわからない。
多くの統計データが改ざんされている今の日本の安倍政権が発表した『2019年版自殺対策白書』を信用しろと言う方が無理と言うものだ。

この話を娘の山川沙登美とすると、こう言っていた。
「友達ともよく話すんだけど、こうなったら最後は安楽死しかないよね。早く立法化してくれないかな」
僕はこう答えた。
「医師会と製薬会社が献金しているから、安楽死は日本では絶対認められないよ」
娘は大きくため息をついたのであった。

参議院議員選挙の投票日が迫っている。僕は比例は「山本太郎」と書くと決めているが、1それは彼が五木寛之同様、《人は生きているだけで価値がある。》と強く主張しているからだ。

安倍晋三首相の暴走を許せば、徴兵制復活まで突っ込むと僕は思っている。令和新選組が全員当選したとしても、たかだか10人に過ぎないではないかと言う意見もよくわかる。「だから大切なのは野党共闘なのだ」と言う考え方がわからないほど間抜けでもないつもりだ。

しかし今、いっそのこと死んでしまいたいと思う人の声無き声がこの列島に充満しているのだと思う。その声に真摯に向き合っているのは、山本太郎の「れいわ新選組」だけだと思う。

もはや慈悲なし。
是非もなし。
最後の希望託すつもりで、僕は「山本太郎」と書くつもりだ。そしてもちろん、これはゴールなのではない。僕ら全員が揃う、スタートラインなのだ。