「ベトナムピエタ」を日本でも制作できないだろうか | イージー・ゴーイング 山川健一

「ベトナムピエタ」を日本でも制作できないだろうか

戦争は人々を被害者にするが、同時に加害者にもすることを僕らは忘れがちだ。沖縄戦、広島と長崎の原爆、東京大空襲で日本人は被害者だったかもしれないが、東南アジアや韓国の人々に対しては加害者であった。もちろん、その頃の日本人と僕らは同じではないが、間違いなく同一の連続性の上に今の日本社会は成立している。

高校生の頃、お前の内なる加害性を直視しろという意味で突きつけられた「自己否定」(70年代用語です)という言葉に僕は衝撃を受けた。その感覚は今も消えずに自分の中にある。

日本人が感じている慰安婦像への拒絶感は、それが怨嗟の感情をコアに持っているからだろう。しかし、僕らが加害者の末裔である以上、拒絶の感覚は自分の中で消化し贖罪の気持ちを育てなければならないのではないか。ライダイハン像にしても事情は同じだろう。しかし同時に怨嗟から未来は生まれはしない。

「平和の少女像」の作者でもあるキム・ソギョン、キム・ウンギョン夫婦は、ベトナム戦争時に韓国軍に虐殺された民間人の母子を悼むための「ベトナムピエタ」を制作した。韓ベ平和財団により建立されたこの像は西帰浦市、聖フランシスコ平和センターに展示されているのだそうだ。

慰安婦像を、日本側のアーティストが制作したらいいのではないかと僕は思う。僕らの贖罪の気持ちと反戦の象徴としての少女像を制作して、それを大使館や領事館に展示するのではなく、「ベトナムピエタ」のような公共の場所──あいちトリエンナーレのようなスペースに、展示すればいいのではないだろうか。

何よりも大切なことは、こうした悲劇を生む戦争を二度と繰り返してはならないということだ。だが今や、日本の政治状況は明らかに「戦前」である。韓国ヘイトを煽り続けて来たのは間違いなく安倍政権であり、官僚組織や警察、ジャーナリズムの支配はほぼ完成したように見える。もはや一刻の猶予も許されてはいない。

安倍政権が繰り出してくる韓国ヘイトに整合性があるのかどうか、僕ら一人一人が真剣に吟味しなければならない。テレビには「日本のここが素晴らしい」と言うコンセプトの番組が溢れている。吉本興業まで安倍政権に降った今、もうテレビなんか見ない方が良いのではないかとさえ僕は思っている。

繰り返すが、戦争は僕らを被害者にするが、同時に加害者にもする。そんなことは、二度とあってはならないのだ。僕らは誰かに殺されたくはないし、誰かを殺したくもない。だとしたら今もっとも大切なのは、政権が垂れ流す韓国ヘイトの真偽を自分自身の力で見極めることなのではないだろうか。

あの福島の原子力発電所の事故の影響も「完全にコントロールされている」と真っ赤な嘘をつき、オリンピックの誘致にまんまと成功した安倍晋三首相の言うことを信用する気には、僕には到底なれません。

僕はこの3月まで山形で芸術大学の教員をやっていたのだが、もしも今も大学にいたら、彫刻科の学生に話しに行くのになぁ。少女像の制作を提案してみたのだが。残念です。