奥手女子を卒業して40代で結婚した

婚活恋愛カウンセラーのなつみです。


母に対する想いも、感謝の手紙のおかげで変わりました②


前の投稿の続きです。


①はこちら


私は大学でバンドサークルに入りたかったのですが、新聞奨学生をやりながらサークル活動は無理らしいということで。


考えに考えて、私は家から通える国立大の1つ、O大の理学部化学科を選びました。


O大なら第2グループの範囲内だし、私は化学が得意なのだから化学でもいいよね?と無理に思い込んだのです。


結局、私は、一浪してO大理学部化学科に進学しました。


忙しいリケジョだけど、早稲田大学のバンドサークルにも入って楽しい毎日でした。途中までは100%喜んでいました。


でも、O大ってクソ真面目な女子が集まる女子大で、なかなか独特な雰囲気だったし。


(卒論のための研究室が最悪で、私は無駄な苦労をしました。私は明らかに共学向きの性格です。)


何より薬学部を出て薬剤師の資格が取れれば仕事をする上で強いのに、私はそれを捨てたんですよね。


だんだんと不満を感じることも出てきて、私は、O大に進学したことを100%肯定できなくなってきました。


その気持ちは複数に分割されて、ずーっと私の中に渦巻くことになりました。


a)C大薬学部に行っていれば良かったんじゃないの?


b)いや、O大化学に行ったおかげで第2グループにいられて良かったじゃん。


c)早大のあのバンドサークルに入れて良かったじゃん。C大に行っていたら多分C大のサークルに入っていたから、そしたらあの充実感はないよ。O大でよかったよ。


d)親がお金を出してくれて阪大に行かせてくれたら全て解決したのに!


e)新聞奨学生やって阪大行って、根性でバンドサークルもやっていれば良かったんだよ。


f)バンドサークルという遊びが微妙に理由に入っている私は、不真面目。それがなければ新聞奨学生で阪大に行く決意ができた。


g)結局、東大に行く能力がなかった私が悪いんだよ。


a〜gの気持ちが混ぜこぜになって、ずーっと自分の中でぐるぐるしているんです。


もう、gなんて意味不明でヤケクソの極論だけど、そんなのも出てきます。


そして、やっぱり、「d)親がお金を出してくれて阪大に行かせてくれたら全て解決したのに!」の声が、かなり大きいんですよねー。


学費をたっぷり出してもらえる人たちに囲まれていたので、どうしても贅沢になります。


「予備校代は自分で何とかしたんだから、学費は出して欲しかったよ!」という感じになるのです。




感謝の手紙を書くと、こういうもやもやが出てくることもあって、その場合は並行してお恨み帳も書きます。


今回母への感謝の手紙を書くときに、当然この進学関連のもやもやが出てきたので、私は並行してお恨み帳も書きました。


とは言え、母に感謝の手紙/お恨み帳を書いたときは、特に私の意識の変化はなかったのですが。


継続して妹や祖父母や友人などに感謝の手紙を書いている間に、ふと思い付いたんですよ。


母と私の間で、もっと素直なやりとりがあったら良かったのに…と。


またまた字数制限です。

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