ご訪問ありがとうございます。
アトリエプチボヌールです。
昨年の3月にトワルドジュイの歴史の
オンラインセミナーを
受講した時のメモが出てきましたので、
ここに残しておきたいと思います。
自分で書いておきながら、解読不明な文字もあり
箇条書きとなりますが、
自分の為に残しておきたいので。
1,インド更紗からトワル・ド・ジュイ誕生へ
トワル・ド・ジュイとはジュイの布という意味
コットンプリント布の一つ
ルーツはインド更紗
田園風景やパストラル柄、エレガント系ロココ
インド更紗はリバティ、モリス、マリメッコの ルーツ
17世紀 ルイ14世の頃、日本は江戸初期
金、銀とインド更紗は交換されていた。
アジアはスパイスと交換。
エキゾティックで光り輝く模様
綿、茜(染料)で染色する技術はヨーロッパで は生育していない食物と未知の技法。
インド更紗の4000年前インダス文明に遡る。
麻、絹、毛織物しかなかったヨーロッパ。
インド更紗に夢中に。
コットンプリント生地はフランス人が好み、
輸入だけでは足らなくなった。
フランス国内では麻、絹、毛織物が売れなくな り、ルイ14世により1686年輸入禁止令が
出された。
輸入、製造、身に付けるものは処刑された。
密輸、密造が続いた。
1759年ルイ15世が禁止令を解くまで73年間続 いた。
その後、オーベルカンフが1760年パリから南 西20キロ離れたヴェルサイユの近郊
ジュイ=アン=ジョザスにジュイ工場を設立し た。
1300人が働き、一大工場へとなった。
80以上の植物柄、オセアニアの珍しい植物、
果物、より写実的に変化していく。
木版はカラフル、銅板でローラーを作るのは大 変なため、単色プリントへ。
染色の定着率が高いのが赤→ジュイと言えば赤 が多い
柄のデザインはすべてオーベルカンフが決めて いた。
ジャン=バティスト・ユエ(アカデミー画家) がオーベルカンフの望みを叶えた。
マリーアントワネット好みの牧歌的な田園風景 や革命記念祭などの歴史的風景
幾何学模様の地に装飾模様を高い密度で散りば める構成に変化していった。
1806年にはナポレオンよりジオン・ドヌール 勲章を授与され、1815年にはフランスの
大経営者となった。
1815年オーベルカンフ死去
1843年83年続いた工場閉鎖
2,ジュイ工場無き後、ジュイはどうやって現代に 受け継がれたのか
ミューリューズ美術館、MFTA社、カザル社
1991年レグランティヌ城にコレクションを移 し、トワルドジュイ美術館開館
2016年秋DIORの動物柄コレクション
パリ8区ニッシム・ド・カモンド美術館
ヴァンプ蚤の市 20世紀半ばのジュイ柄に出会 える
笑顔でキャッシュで払うからおまけして!!と 言ってみてね。
と優しい笑顔で説明してくださった
永島聡美先生。
ナディ先生のカルトナージュレッスンで通訳兼 講師として教えて下さり
カルトナージュをしながら、夢のように楽しい 時間を過ごさせていただいたことは
決して忘れることはありません。
ありがとうございました。
いつか、トワル・ド・ジュイ美術館へ
行きたいです。
カルトナージュを始めた頃は、恐れ多くて
使えなかったジュイ。
講師になり、やっとフランスから届いたジュイを
手にした時は本当に嬉しかった。
2016年にトワル・ド・ジュイ美術館展が東京で
開催され、観に行き、
永島先生の運営されていた
フロリレージュも出店されて
ジュイグッズを購入しました。
また、この展示会でヴォーグ社の
フレンチメゾンデコールの担当の方と
永島先生がお話しをされて、
「大人のカルトナージュ」発行へ
とんとん拍子に進んだとお聞きしました。
今は書店では購入出来ないのが残念でなりません。