2輪の中型免許を取ったのは、27歳の時です。
母には、危ないからと2輪免許を取ることを反対されていましたが、
免許を取ったことを「公道では乗らないけど取った。」と事後報告しました。
免許を取ったことを「公道では乗らないけど取った。」と事後報告しました。
そんなわけない。
でも20代の頃は、2輪レースのお手伝いで足しげくサーキットに
通っていたので、仕方ないなあ
と思ったのでしょう。
通っていたので、仕方ないなあ

自分のオートバイは持っていなかったけど、
免取になった知り合いのホンダのホーネットに乗ってあげることになりました。
免取になった知り合いのホンダのホーネットに乗ってあげることになりました。
動かさないとダメになるからね。
で、知人のホーネットを公道で乗るようになったのですが、
母には「一人では乗らないから大丈夫。」と安心させていました。
母には「一人では乗らないから大丈夫。」と安心させていました。
安心するわけない。
でも29歳で胃癌の手術をした半年後に、欲しかったSR400という
単気筒のオートバイを買いました。
単気筒のオートバイを買いました。
病床で、あー、死ぬとき後悔しそう。と思ったんですね。
SR400はキックでエンジンをかけますが、当時体重が40kgを切ってしまい、
力任せではかけられず、コツをつかむまでは大変でした。
力任せではかけられず、コツをつかむまでは大変でした。
体が冷えるとお腹の傷が引きつって痛かったけど、いきなりGWに
愛知にツーリングしたり、群馬や福島の山へツーリングしてました。
愛知にツーリングしたり、群馬や福島の山へツーリングしてました。
30歳で若気の至りです。
ある日、つくばから東海村に暮らしていた母のところへSRで行きました。
一人で。
「一人で来たの!?」
大丈夫、後ろから○○が追ってくるから、一人じゃないから
って、
嘯くわたし。

嘯くわたし。
「もー、ちょっと、おねえちゃーん
」って言うものの、
母は最初から、信じてない。
わたしが言ってもきかないって、わかっている。
だから「もー」って言うしか、無い。

私と母の関係は、いつもこうでした。
母は、弟に対しても、妹に対しても、万事そうでした。
三者三様の性質を否定することなく、
受け入れて育ててくれました。
受け入れて育ててくれました。
弟のゲイ疑惑のときも「まあ、いいか。」って言っていたくらいです。
。。。。。
私は、息子に対して母の様に広い心で
接することができないときがあるけど、
そんなときは「待ってあげなさい。」という、
言われたときに私の心には突き刺さった、
母の言葉を思い出すようにしています。
接することができないときがあるけど、
そんなときは「待ってあげなさい。」という、
言われたときに私の心には突き刺さった、
母の言葉を思い出すようにしています。
。。。。。
今日は、そんな母の三回忌です。
母のことが好きだった人達と、みんなでお食事してきます。
新しい命を授かったことも報告させてもらいます。
そうやって、時は流れていくのだな。
今は、ただ、母が元気で笑顔いっぱいだったことの思い出し、
どこからか見守ってくれていることを感じながら。。
どこからか見守ってくれていることを感じながら。。