にぃにが2年生、8歳の夏に小室尚子先生と
出会い、ほっぺちゃんが生まれる直前から母勉の
グループコンサルに通い始めました。
そもそも、母勉を始めた根本理由は、にぃにが1歳の頃に
さかのぼります。
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▼にぃにの小さい頃の話(1)
▼にぃにの小さい頃の話(2)
▼にぃにの小さい頃の話(3)
このままゆっくりと死んでいくと言われたとき、私たち
夫婦がすぐに連絡をした方がいます。
西洋医学に匙を投げられた。と感じ、それならば・・・と
かねてからお世話になっていた東洋医学を学ばれている
整体の先生に電話をしたのでした。
連絡をすると先生は驚いて、すぐに飛んできてくれました。
にぃにの様子を見た先生が言ったのは、
「亡くならんよ。」
という、病院の先生とは真逆の言葉でした。
脈を取りながら、「そういう(亡くなる)状態にない。」と
おっしゃったのです。
以前から先生を信頼していたので、その言葉は嬉しかった・・・。
そして、先生は「手当て」を教えてくれました。
先生も手当てをしてくれたのですが、私たち夫婦もとにかく
この子にできることがあるのが嬉しくて、教わった手当てを
寝る間も惜しんで、続けていました。
その上、先生は、毎日様子を見に来てくれたのでした。
ある日は、奥さまも一緒に
「病院の食事は口に合わないでしょうから。」
と、お弁当まで作って差し入れてくださって・・・。
一方で、担当の女医先生は、リー脳症の治療として、
治るわけでは無いがビタミンB1の投与が効果があるそうなので、
それを考えているとおっしゃって、すでに3日。
なんの処置も無いままでしたが、整体の先生のおかげで
「やることができた」わたしたちは、失いそうだった希望を
取り戻して、にぃにに手当てを続けていました。
相変わらず、発作が起こるにぃにでしたが、その3日の間に
わずかにその回数が減ってきているようでした。
夫婦がすぐに連絡をした方がいます。
西洋医学に匙を投げられた。と感じ、それならば・・・と
かねてからお世話になっていた東洋医学を学ばれている
整体の先生に電話をしたのでした。
連絡をすると先生は驚いて、すぐに飛んできてくれました。
にぃにの様子を見た先生が言ったのは、
「亡くならんよ。」
という、病院の先生とは真逆の言葉でした。
脈を取りながら、「そういう(亡くなる)状態にない。」と
おっしゃったのです。
以前から先生を信頼していたので、その言葉は嬉しかった・・・。
そして、先生は「手当て」を教えてくれました。
先生も手当てをしてくれたのですが、私たち夫婦もとにかく
この子にできることがあるのが嬉しくて、教わった手当てを
寝る間も惜しんで、続けていました。
その上、先生は、毎日様子を見に来てくれたのでした。
ある日は、奥さまも一緒に
「病院の食事は口に合わないでしょうから。」
と、お弁当まで作って差し入れてくださって・・・。
一方で、担当の女医先生は、リー脳症の治療として、
治るわけでは無いがビタミンB1の投与が効果があるそうなので、
それを考えているとおっしゃって、すでに3日。
なんの処置も無いままでしたが、整体の先生のおかげで
「やることができた」わたしたちは、失いそうだった希望を
取り戻して、にぃにに手当てを続けていました。
相変わらず、発作が起こるにぃにでしたが、その3日の間に
わずかにその回数が減ってきているようでした。
にぃにの小さい頃の話(5)につづく