にぃにが2年生、8歳の夏に小室尚子先生と
出会い、ほっぺちゃんが生まれる直前から母勉の
グループコンサルに通い始めました。
そもそも、母勉を始めた根本理由は、にぃにが1歳の頃に
さかのぼります。
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▼にぃにの小さい頃の話(1)
▼にぃにの小さい頃の話(2)
▼にぃにの小さい頃の話(3)
▼にぃにの小さい頃の話(4)
▼にぃにの小さい頃の話(5)
▼にぃにの小さい頃の話(6)
▼にぃにの小さい頃の話(7)
一か月後、二か月後とMRIを撮るたびに、にぃにの脳の
病変が消えていっているのがわかりました。
脳症になりできなくなった寝返り、ずりばい、ハイハイを順番に
やり直すにぃに。
すっかり元気になりました。
相変わらず担当の女医先生は「なんでやろね」を繰り返すばかり。
そして四国でリー脳症にお詳しい大学病院の先生にも所見を
うかがったそうで、DNA検査の結果では出ていないものの、
症状がそうだからリー脳症でしょう。
と消極的な見解。
わたしはリー脳症の専門外来を受診することに決めました。
ネットで検索していて見つけたのです。
場所は都内某所。
当時は愛知県在住だったので、わざわざ新幹線で診察を
受けに行きました。
とはいえ、都内には母と妹が住んでいるので、元気になった
孫の顔を見せたかったのもありました。
そして、にぃにが脳症になってから約7か月。
愛知の病院から預かったデータを携え、にぃにをみてもらうと
衝撃の見解で愕然としました。
「症状はよく似ているけど、これは一過性のものです。
リー脳症のようなDNAが問題ではないです。リー脳症では
全世界を見ても、ここまで回復した子はいないですよ。」
「一過性というのは、ビタミンB1が不足したことによる
ウェルニッケ脳症です。」
ここまで言われて、ようやく気が付きました。
わたし、胃を全摘しています・・・。
わたし、脚気=ビタミンB1不足になりました・・・。
そう、わたしは胃がんで胃全摘しています。
術後5年でにぃにを出産しました。
そして、完母で育てていました。
離乳食がいまいち進んでいませんでした。
・・・。
つまり、ビタミンB1不足のわたしの母乳はビタミンB1不足だった
というわけで、つまりは、わたしのせいだったんだ!!
なんてこった・・・。
大切なわが子を、自分の体のせいで病気にさせてしまった・・・。
わたしは、にぃにも夫にも申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
にぃにの小さい頃の話(9)へつづく