数日前に母の好きなユリを買っておいたら、
ちょうど満開になりました。

とても良い香りで前を通るたびに癒されます。





母を見送ってから、今日で4年です。

母は在宅医療でしたので、妹とふたりで看取りました。
当時66歳、まだまだ若いのに、乳癌が肝臓などに転移し
帰らぬ人となりました。


治療を始めたとき、すでにうっすらと肝臓の影が見えて
骨にも・・・?という状態で、大元の乳癌のしこりは
10cm近い大きさだったのでステージ的には3bとか
4に近かったのではないかと思います。


もちろん手術は不可。
ホルモン療法も効果なく、勧められたのは治験でした。


結局、3箇所の病院を歩き、少量の抗がん剤治療をする
という医師にたどり着き、そちらでお世話になりました。


母の希望は「仕事を続けること」でした。


少量の抗がん剤なら、標準治療よりは副作用も少なく
仕事も続けやすいのではと考えたからです。


母はそれなりの副作用はでましたが、でも治療をしながら
生きがいである仕事も続けていました。


そういう治療を続けて3年。
理由があって、半年ほど治療をあけてしまったのですが
その間に進行してしまいました。


在宅が良いという母の希望を、一緒に住んでいた妹が
叶えてくれました。

離れて住んでいたわたしも週末や、看護休暇をいただいたりして
当時5歳のにぃにを連れて母の元へ行きました。


あの時も、オリンピックをやっていましたよ。
だからなのか、昨年よりも今年の方が当時をよく思い出します。



母は亡くなる3週間位前、病床でわたしに得意な料理のレシピを
伝えました。

「久美子(妹)にも言ったけど、不安だから書いておいて。」
というので聞いたのですが、そのどれもが適当。

「砂糖はどれくらい?」

「適当!」

「醤油は?」

「味を見て適当に!」「そんなのは感覚だよ!」

「それじゃ、レシピになんないよ(笑)」
と大笑いしてしまいました。



もっともっと元気で生きていて欲しかった。


2年後に生まれたほっぺちゃんを見せたかった。
絶対、ものすごく喜んだろうなぁって、特に最近のほっぺちゃんを
見ていると思います。



ちょっと悪い顔をしたり、突っ伏してあーん!て泣いてみたり、
地団駄踏む様子は、絶対母の好み(笑)



にぃにが幼い頃に脳症になって、死ぬかも知れないということを言えずに
でも数日後にメソメソと打ち明けたわたしを母は、
しっかりしなさい!母親がそんなんでどうする!」と叱咤しました。

精神的に落ち込んで慰めて欲しかったであろうわたしは「ええ〜」と
思いましたが(笑)、でも母だからこそ言えた言葉だったと思います。


後から妹から聞きましたが、電話を切った後に泣いていたそうです。
母も気持ちを振り絞って、わたしを叱咤したんでしょうね。



まあ、にぃにの難病は誤診でしたが・・・(ー ー;)
いい方の誤診だったので良しとします。。。


その後も成長がゆっくりなにぃにのことを相談したときには、
せっかちなわたしを諌めるように
「待ってあげなさい。」
と、これはわたしの中で、いつも噛みしめる言葉です。



嬉しそう(笑)


でも、きっとどこかで見ていてくれるんだろうな。


今朝、ほっぺちゃんが、誰もいないのにユリの方に向かい
手を振っていました。


にぃにがいたのかな?と思ったけど、誰もいなくて
とっさに「お母さん?」と呼んでしまいました。



今日という日はついつい、写真を眺めてしまいます。
母との吹き出したくなるような楽しい思い出を
思い起こしながら、過ごすとします。


長文、お読みくださりありがとうございました。