「スパイダーウィックの謎」 ムービーウォーカー特集


子ども向けのファンタジー作品の映画化には実は少々食傷気味だったので、これも最初の内は「あーあーまたこのパターンかよ。実写じゃなくてもセルアニメでも充分なんじゃない?」等と斜に構えて見ていたのだが、どうしてどうして、物語が佳境に入るにつれて正座して見たくなる程のめりこんでしまった。


家に閉じこもってのアクションシーンなんか、ウィル・スミスの傑作「アイ・アム・レジェンド」のクライマックスに匹敵する迫力だった。お子様向けだけに恐怖感はさほどないのだが緊迫感は充分で、これはやはり、実写で映画化して正解だわと超納得。


原作物のファンタジーなら「ライラ」や「光の六つのしるし」等がわりと最近見た作品だが、私の好みだと「スパイダーウィック」が一番である。「光~」に似ている部分があるが、それよりも現代的でしかもより普遍性があるからだ。「ライラ」は3部作の1作目ということできちんとした評価はできないが、主役のライラが好きになれないので。


実は映画を見れば男の子が主役である「光~」と「スパイダ-~」の原作者が女性であることは薄々察しがつく。

逆に「ライラ」では主人公が女の子であっても原作者が男性だろうと思うのは、ライラの行動に制限がかけられているからである。ライラは常に誰かに守られ、衣食住の世話を受けている。それは男が結婚した妻を幸せにするための条件と思っていることと全く同じだ。ライラは男性作家にとってのヒロイン、守るべき永遠の女性像である。


生憎女の方は男に守られることばかりが幸せだとは考えていなかったりする(このズレが男女間に不幸の溝を生むのだが)。


女にだって、自分の人生を自分で切り開き幸せをその手で掴みたいという思いはある。しかしそれは社会制度や文化の中ではばまれ、思うに任せないことが多いのだ。


だから女性作家はファンタジーの中で自分が現実にはできないことを思い切りやる。女の子が主人公では本の中でさえスカートがめくれることを気にしたり顔に傷を負うのを心配たりしなければならないから、ずっと行動が自由な男の子を主役にしたりもする。自分で知恵を絞り、自分で戦い、自分で苦しみ、そして最後に自分で問題を解決する主役の男の子は、実は女性作家の分身なのだ。


そのため、そういう男の子の行動は、女性の心を直撃してくる。

彼らは女性が男の子にこうあって欲しいと望む理想と自分の理想とを重ね合わせたものだからだ。


それは少女マンガ或いはそれに類した作品に出てくる、いわゆる王子様キャラとは全く違う。女性にとっての伴侶としての漠然とした理想ではなく、もっと具体的に作者自身の心の奥の望みをかなえてくれる男の子である。



そう思って「スパイダーウィック」の主人公、ジャレッドの行動を読み解くと、女性にとってはとっても溜飲の下がる作品になっていると思ったのであった。かなり現実的だし。



ところでこの映画には隠れたヒロインがいる。

もちろんこのヒロインも作者(原作者か映画の制作者か脚本家かはわからないけれど)の分身だ。

このヒロインの望みは「魔法にかけられて」の隠されたテーマとほぼ同じ。

女性の永遠のファンタジーを担うのはやはり男の子のジャレッドにはできないことだ。

このヒロインが最後に見せた幸せな姿、それこそが多くの女性が心の奥底にしまい込んだ真の望みの実現なのだ。


子ども向きの作品でありながら、実は映画を見て一番感動するのはお供でついていった母親の方かもしれない。