「最高の人生の見つけ方」が日本の興行成績で初登場二位と知って(ココ)かなり意外だったのだが、ペタをつけながらブログ巡りをしているとやたらとこの映画のレビューに遭遇するのにはさらに驚いた。これだけたくさんの人が見ているならその順位にも納得である。
そりゃまあ、映画ファンを自認する人ならジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが共演していれば見逃すはずはないワケで。
レビューを拝読すると皆様それぞれツボにはまって笑ったり感動したりしているようである。暗くなりがちな余命いくばくもない生活も莫大な金さえあれば楽しめるという分かりやすいお話と、でも結局金はなくても最後は家族に看取られて死ぬのが幸せよという心に浸みやすい結末で、万人がうんうんとうなずきながら見終われる作品となっているのだから当然か。
こう書いちゃうと身も蓋もない映画のようだが、どっこいジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンは伊達じゃない。年季の入った彼らの演技がこの作品を絵空事で終わらせず、観客の心に届くものにしているのだ。年輪を重ねた彼らの存在感そのものが、この映画を成立させている。
ジャック・ニコルソンが自分と一緒に旅に出ようとモーガン・フリーマンを誘う時、こうやって善人を悪の道に引きずり込む際に見せる表情こそが彼の最大の魅力なのだと観客は実感する。この魅惑的な悪魔の囁きは、それが「悪魔の囁き」だと認識している者にさえ喜んで魂を差し出させてしまうだろう。最高にして最悪の誘惑者、それがジャック・ニコルソン。あんな目をされたら、真面目一徹で生きてきたモーガンだってふらふらっとしてしまうに違いない。
モーガンの方は忍従の人だ。豊かな才能と深い人間性を秘めながら、ずっと目立たぬ下積みの生活を送ってきた役をやらせたら彼の右に出る者はないだろう。その才能は一度表に出たなら、他の人を軽く凌駕するが、しかしそれを本人が自慢することはない――そういう役の集大成を喜々として演じ、時としてジャックを食いながら絶妙なバランスで彼を立てるのを忘れていなかった。
そう、ファンにとってスクリーンで見ているのは、自分達が映画の中で知っている「ジャック・ニコルソン」であり「モーガン・フリーマン」だった。役の名前なぞ忘れても問題ないくらいに。
彼らが映画の中で友情を育んでいるのを見られるのだから、ファンにはたまらない贅沢な映画である。
とはいえ、私が映画を見ながらついつい気になっていたのはジャック・ニコルソン演じる富豪の秘書トミーorトマス(本名マシュー)役の俳優だった。だって彼、若いんだもん。青年というには少々トウが立っているけど中年と呼ぶにはまだ早いかなぐらいの年齢だけど、それでもジャックとモーガンに比べればうんと若い。どんなに名優でも、かなり年配の男性ばかりを見続けているのはさすがに精神衛生上よろしくないというか、ついつい若いつやつやのお肌の方に目が行くのは止められないのであった。
彼、映画見ている最中は気づかなかったのだが、クレジットを見たらショーン・ヘイズだった。「ウィル&グレース」で調子のよいゲイのジャック役の彼だったとは! 髪と衣装が違って眼鏡かけてるだけで全然印象変わるのね。今度から「スーパーマン」がクラーク・ケントになった時「何故ばれない」と突っ込むのはやめにします。
この秘書のトミーが実にいい味出していて、出色のキャラだった。
有能な個人秘書というのは、要するに完璧な女房役(ただし性交渉なし)なのだなーと思ったりして。普通の女房族よりよっぽど高給取りなんだろうが。
とにかく駄々っ子のようなご主人に仕えて機嫌を取りつつあらゆる要求に即座に答えてるんだから、有能を通り越して万能かもしれない。それだけできるヤツが何で秘書なんか(欧米では秘書の地位は割と低い)とやってるのかと思うのだが、それは彼が実は主人&自分の仕事を心の底から愛しているからに他ならないことが、辛辣な憎まれ口の裏から伝わってくるのだ。
トミーがどことなくゲイっぽく見えるのは、その優しさが全身から滲み出ているからだろう。
彼はイジワルな主人に何か言われたら必ずその分言い返すことで常に二人の関係をイーヴンに保っているのだが、その辺りが非常に小気味よかった。彼はいつも毅然として最後まで男らしく立派に個人秘書の仕事を勤め上げていた。
名優二人の濃い演技も、この水のように静かに存在するショーン・ヘイズがいなければ上手く引き立たなかったことだろう。さりげなくそこに彼が存在することで、全ての面倒事は解決済みと観客に思わせることができたのだから、脚本もキャスティングも上手いものである。
あ、女優さんは綺麗だなーと思いましたが、私の関心は男にしかないので特に書きたいことがないのでした、すいません。