ブログネタ:自殺について考える 参加中
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死ぬ時に自分が死ぬこと以外考えてないですね。
だから「人に迷惑をかける」云々なんてこと、考える余裕なんかないです。
こういう人は洗面器一杯の水でもたぶん意志の力で溺死できるでしょう。
私が知っている一番凄まじい死に方は、娘を殺した母が拘置所でティッシュを自分の喉や鼻に詰めての窒息死です。人間、どうしても死ななきゃならないと決心したらそこまでするか、という感じです。

「死にたい」と思うのと、何が何でも「死ぬ」と決意するのでは重みが違います。
一旦本気で「死ぬ」と決意した人の気持ちを翻すことは誰にもできないでしょう。
そういう人は、恐らく、苦痛なんてものともせず、ただ黙って一人死んでいくのでしょう。
列車にとびこんだり、ビルから身を投げたり、後始末は大変ですが決意だけは潔いです。

それに比べるとただ漠然と生きるのに疲れて「死にたい」と思う人は覚悟が足りない気はしますね。
なるべく苦痛のない方法を選ぶだけ、余裕あるじゃんというか。

その程度の覚悟で自殺しちゃって、死ぬ瞬間に後悔しないのかなと思います。

私は後悔しましたね。
手首切って血が止まらなくなった時に。
「ヤバイ、死んじゃう」
って。
で思い知りましたよ。
私の自殺願望なんてポーズに過ぎないんだと。
それは結局、誰かにかまって欲しい、愛して欲しいという欲求の裏返しに過ぎないのだと。
本気で死のうと思ってるなら、手首切るなんて迂遠なことしないで、ビルの屋上から飛び降りてるさと。


高校の時の友達が、2年の時にそうやってビルから飛び降りて自殺しました。
何が彼女をそこまで追い詰めていたのか、動機は今もって分かりません。

たぶん、彼女はふっと死にたくなってしまったのでしょう。
本気で死にたいと思ったら、それはとても簡単なことです。

でも私は今でも思っています。
彼女が飛び降りてから地面に激突するまでの僅かな時間に
「しまった、このままだと死んじゃう」
と思って後悔したんじゃないかと。
後悔してももう取り返しがつかなかったなら、それは悲惨な最期だったのではないかと。
たった17で人生を捨てること、なかったんじゃないかと。

同じ17で、ラグビーの部活の事故が原因で死んでしまった後輩もいるし、19で病気が原因で死んでしまった後輩もいます。彼や彼女はもっともっと生きていたかったことでしょう。人間死ぬ寸前に思うことは、もっと生きていたいということしかないと思います。それは本能ですから。

その本能に逆らってまで死を選ぶからには、それなりの理由があるのでしょう。
そういう人の決断にまでどうこう言う気はありません。

ただ、死ぬのにあたって一人じゃイヤだからと仲間を募ったり、少しでも楽な方法を研究したり、それだけの余裕があるのだったら、その余力を生きる方向に向けてもいいんじゃないかという気はしますね。本人が死に直面した時に「しまった!」と思ってもそれは自業自得ですが。


手首の血は眠っている間に止まりました。たいして深い傷でもなかったので。

本気で死ぬかもしれないと思ったのはその時じゃなくて別の状況でした。
化学物質過敏症の発作で呼吸ができなくなった時です。
どうやっても息が吸えなくて、このまま死ぬと覚悟した時、生きていたくて、悔しくて、涙が出ました。
再び息を吸えた時、自殺なんてバカな考えは金輪際捨てようと決心しましたよ。

「死」なんて甘美でも耽美でもありません。苦しいだけです。

それ以来、私は生きることを楽しむことに決めました。
同じ人生生きるなら、楽しまなきゃ損です。
いつ死んでも後悔のないよう、楽しんで生きるように心がけ、それを実行しています。