「幻影師 アイゼンハイム」公式サイト
これは19世紀末のウィーンを舞台にした物語である。
ジョン・マルコヴィッチが主演した映画「クリムト」(参考サイト )ではその市民達(男)の生活ぶりが描写されているが、「アイゼンハイム」では貴族や王族の有様を垣間見ることができる。ハプスブルグ家の栄光の最後の日々だ。
映画の中ではレオポルドと名前を変えられているが、これは当時の皇太子がからんだ有名なマイヤーリンク事件の謎に対し一つの解決を仮定として呈示した物語だ。
この映画も「つぐない」同様物語の語り手は悲恋の中心人物達とは別にいる。ポール・ジアマッティ演じるウール警部がその人であり、謎解きを担当するのも彼なのである。
従ってこの映画でウール警部が語るシーンは、全てがウール警部の目を通して見た世界ということになる。
「300」ではディヴィッド・ウェナム演じるディリオスが語ったままの世界を映像化した体裁であることで非現実的な部分をも表現していたように、「アイゼンハイム」ではウール警部が見たイリュージョンが映像上で表現されている。つまり、観客側にはアイゼンハイムの仕掛けがどのようなものなのか知らされないままなのである。
早い話、奇術の種が観客に分かるようにはこの映画は作られていないということだ。
観客はウール警部の目を通してしかアイゼンハイムのイリュージョンを見ることができないから、ウール警部が幻惑されればそのまま観客も幻惑されてしまう。ウール警部がだまされれば観客も一緒にだまされるのだ。
で、またこのウール警部が実直なだけの凡庸な人物なのだわ。
足を使って点数を稼ぐことはできるが、頭使って事件解決することはできないでしょ、みたいな。
まあ、そこがこの映画のミソなんだけど。
これは飽くまでイリュージョンが主役の映画なので、観客はイリュージョニストの仕掛けた罠にまんまとはまるのが気持ちいい、という作品なのだ。はまれればの話だが。
奇術師を主人公にした映画には去年公開された「プレステージ」があって、実は私はこっちの方が好みなんである。同じ幻想を題材にした作品でも、「プレステージ」の方は奇術の種と仕掛けを全部観客に見せてくれたので。その上でさらに大がかりな謎の中に観客を巻き込み、最後にアッと驚くような結末を見せてくれる。「イリュージョニスト」は最後の最後までウール警部の目という限られた窓からのぞく世界で終わってしまうので、美しく幻想的なラストではあるものの、どうもすっきりしないのだ。
昔ののぞきからくりを見ているような気持ちだろうか?
自分が見せられたものが本当だったのかどうなのか判然としない……推理小説好きの私にとってはちょっとばかり物足りない気分が残る。とはいえ、それこそが「幻想小説」と言われるにふさわしいラストであることは理解しているので、作品に対してケチをつけるつもりはない。単に私の好みとは違うテイストだったという事だ。
実際の所、これはかなりヒドイ話なのである。ネタバレになるから書けないけれど、史実にあることを利用しているとはいえ、これはれっきとした犯罪行為の話だ。さすがにそれを堂々と表に出すわけにはいかないから、幻想という手段で世間に送り出したのかもしれない。