「JUNO/ジュノ」公式サイト


オープニングからいきなり笑えるのが、ヒロインであるジュノ16歳が、いわゆる16歳で妊娠しちゃうタイプには全く見えないことである。


エレン・ペイジの演じたジュノだけではない、キャラクターの全てがこれまでのハリウッド映画で描かれてきたステレオタイプの登場人物とは全く違う。


この作品が多数の映画賞に様々ノミネートされた第一の理由は、恐らくその人物造形の新しさにあったのだと思った。脚本を書いたディアブロ・コディがオスカーを受賞したのもうなずける。


とにかくセリフがいちいちおかしいのだ。

笑っちゃう程おかしいのだけれど、そのどれもにイヤミがなく気持ちよくさっぱりしているのは、作家によって非常に考え抜かれ磨き込まれたセリフだからなのだろう。


例えて言うなら、「ジュノ」は橋田壽賀子作品と正反対の世界といえようか。

どこまでも聡明で透明で、登場人物全員が他の誰かを思いやっているのだ。

ミントのように清涼で心地よいが、かといって軽いノリの作品ではない。


これはたぶん、現代のアメリカが夢見る一種の理想の世界なのだ(映画におけるブラックアメリカンの人数比が少ない事についてはどこからか苦情が出ているのかもしれないが)。



ジュノは「どこにでもいる16歳」と言われるようなタイプではない。上で書いたような「いわゆる16歳で妊娠しちゃうタイプ」でもない。およそ全ての「タイプ」と言われるカテゴリーに属さないヒロイン、それがジュノだ。



かといってジュノに「こんな子はどこにもいない」と思われるような非現実な所は微塵もない。こういう子は確かにどこかにいるだろうと観客に思わせるリアリティーをもって彼女はスクリーンに現れる。かなりかっとんでいるディアブロのセリフをさらっと口から出して違和感を感じさせないエレン・ペイジの凄さである。


この作品は10代の妊娠を扱いながら、しかしそれがテーマではないのだ。

10代で思いがけなく妊娠しても、その事実に理性的に立ち向かい一人で的確に対処することのできる聡明な少女を描くことで、人間を外見や周辺情報だけで決めつけカテゴライズして理解しようとするのはとんでもない間違いだ、と言っているのである。


人はその本質で判断されるべきだ、というのが脚本家と監督双方のテーマに違いない。


ジェイソン・ライトマン監督の前作「サンキュー・スモーキング」にも通じるものがあるだろうか。

幸い今日「サンキュー・スモーキング」はWOWOWで放送されるので、もう一度見直してみよう。