★ダニエル・デイ・ルイス『There Will Be Blood/ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
●ジョージ・クルーニー『Michael Clayton/フィクサー』
●ジョニー・デップ『Sweeney Todd/スウィーニー・トッド~フリート街の悪魔の理髪師』
●トミー・リー・ジョーンズ『In the Valley of Elah/告発のとき』
●ヴィゴ・モーテンセン『Eastern Promises/イースタン・プロミス』
昨日見た「告発のとき」で、ようやく5本全部見たことになります。
よくもまあ、揃いも揃って人殺しを題材にした映画ばっかりだと少々あきれたりして。
この内、ジョージ・クルーニーやジョニー・デップ、トミー・リー・ジョーンズは功労者でもあるし大ヒット作もあったし「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」)他の作品(「ノーカントリー)でも良い演技をしてたから、ここらでノミニーにしておこう(どうせ賞はダニエル・デイ・ルイスで決まりだから二枚目でも気兼ねなく選べるし)、それにはこの作品がいいだろう、ってな漠然とした下心があっての結果だったような気がしますね。
個人的な感想でいえば、何故ジョニーが「スウィーニー・トッド」でここにいるのかが分からない。ジョニーは疑いもなく良い俳優だけれど、だったら「パイレーツ」でのジャック・スパロウでのノミネートだってよかったじゃないですか。陰惨なドラマばかりが人間性の本質を鋭くついた作品じゃないっちゅーに! ティム・バートンだからって、全てが傑作とは限らないんだから(美術賞の受賞についての異議は全くありませんが)。
ジョージがここに入っているのは、この作品の中ではアメリカが歓迎する正義の味方を演じているからですね。社会的な問題を取り扱っているけれど、さして政治的ではないし。謎解きとして見ていて素直に一番おもしろいのは「フィクサー」でしょう。小道具の使い方なんか非常に現代的で、観客をニヤリとさせるのが上手い映画でした。
ジョージ自身は否定するかもしれないけれど、彼にはアメリカの正義を守る役が似合います。バットスーツを着てなくてもね。正義の味方が堂々主演男優賞にノミネートされたのは、受賞するわけないと皆がふんでいたからで、そしてその通りでしたが。
トミー・リー・ジョーンズが選ばれたのは、「告発のとき」をどこかでノミネートしておかないと、さすがにアカデミーの沽券に関わると思ったからでしょう。私はこの作品こそ作品賞や監督賞や脚本賞でノミネートされるべきではなかったかと思いました。でもそうはならず、代わりにそこに空いた穴に上手く収まったのが「ジュノ」だったって感じです。アメリカ人にとって受け入れがたい現代の真実を伝える作品よりも、未来へ明るい希望を漠然とつなげる作品を歓迎したくなったのは想像に難くありません。主演男優賞には「ジュノ」からのノミネートがなかったのが幸いでした。
トミー・リー・ジョーンズは「ノーカントリー」でも名演を見せているのに、この作品ではハビエル・バルデムに食われちゃってノミネートしようがないから「告発のとき」で主演にノミネートしておこうという一種の操作的な意志の表れも感じます。主演男優賞ならば、作品の内容に深く触れずともノミネート作品として映画の名前そのものはアカデミーの歴史に刻まれますし。いろんな思惑の結果だったんじゃないかと、作品を見た今だからこそ考えますね。
ジョニーもジョージもトミー・リーも、見せ場は彼らが演じた主人公が葛藤する場面でした。
主演男優賞ノミニーのキャラ達は、どれも最終的に自分の決めた事を最後まで押し通す強い意志の持ち主なんですが、それでも上記の3人はそれなりに自分の生きてきた道を振り返って悩み苦しむシーンがあって、それがそれぞれの演技力が凝縮された見せ場となっているわけです。スウィーニー・トッドはわりと早い段階で心を決めちゃって後はひたすらお仕事お仕事なんですが、残る二人は葛藤そのものがクライマックスと結びついています。
それに対してダニエル・デイ・ルイスとヴィゴ・モーテンセンは葛藤しないという、その部分こそが演技の見所なんですよね。
観客にとっては、この主人公はこんなヒドイことしてるのに、どうして葛藤の一つも見せないんだろう? という不思議な思いが好奇心を呼び、物語にひきこまれるきっかけとなります。どちらも強い意志でもって心の中に生まれる動揺を自分で押し隠しているわけですが、それがたまに流氷が動いた拍子にちょっとだけ見える海面のようにして冷たい表情の奥から素顔が透けて見える、その「素顔」までが演技なんですね。ダニエル・デイ・ルイスが作り上げたダニエル・プレインビューであり、ヴィゴ・モーテンセンが構築したニコライなのです。
だから実際上、一本の映画の演技だけでダニエル・デイ・ルイスと対抗して主演男優賞にノミネートされたのはヴィゴ・モーテンセン一人ではないか、と私は心秘かに思っているわけです。
どちらも母国語とは違うアクセントの英語を喋り、自分の人生を全てかけて「仕事」に打ち込む男です。冷酷なのか、熱情にかられているのか、それさえも他人に悟られないように完璧に自己コントロールする男達。その末に待ち受けているものは狂気なのか玉座なのか、その運命は何が分けるのか。
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」と「イースタン・プロミス」は比較して見ると大変おもしろいです。
賞としては、暑苦しいほどの熱気をもって観客に迫ってくる「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・デイ・ルイスの方がふさわしいのだろうとは思わされちゃいますね。あの迫力に巻き込まれたら、やっぱり太刀打ちできないです。
「イースタン・プロミス」の方は静謐な日常生活の中に突如として鮮烈な暴力描写が挿入されるのが刺激的な作品ではあるものの、出来事としては油田を掘り当てるといったような派手なものはないので、その分ちょっと弱いかも。この映画でのスペクタクルは大がかりな特撮ではなくて、ヴィゴ・モーテンセンの裸の体一つですから(ただし傷を負うシーン等はCG処理と思われます)。
ある意味、この時代、俳優の肉体だけで勝負をかけてくるというのも凄いと思いますがね。特にそれを行ったのがかつては特撮による肉体変貌でならしたクローネンバーグ監督ですからね。いつも人と違うことをやりたいと思うのが、クリエイターの常なのでしょう。
まあ、もしダニエルの「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」がなければここで「イースタン・プロミス」のヴィゴがノミネートされる可能性も少なかったのではないか……それだけは確かだと思います。
まずダニエル・デイ・ルイスが大本命としてあって、その大前提があって初めて選ばれた他のノミニー達という印象がものすご~く強い2008年のオスカー主演男優賞でした。