・「秘密結社鷹の爪 THE MOVIEⅡ ~私を愛した黒烏龍茶~」 


・「つぐない」 


・「シューテム・アップ」


・「ザ・マジックアワー」 


・「アイム・ノット・ゼア」 


・「JUNO ジュノ」 


・「イースタン・プロミス」 


・「インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国」 


・「告発のとき」 


・「奇跡のシンフォニー」 


・「西の魔女が死んだ」 


・「アフタースクール」 


・「ミラクル7号」 


・「少林サッカー」


・「カンフー・ハッスル」


以下、上記作品のネタバレを含みます


今月は異常に赤ちゃんや子どもが重要なテーマとなる作品が多かった。

全然関係なかったのは「鷹の爪」と「マジックアワー」ぐらいだろうか? 

「アイム・ノット・ゼア」にさえ達者な子役が出ていて演技に舌を巻いたものだ。



「インディ」には成長してから初めて相まみえた息子が、「告発のとき」には成長してから失った息子が出ていた。

これはどちらも主役がその父親である。父親にとって息子と男同士として対等に話せる日が来るのは夢なのだろうか? 母親との関わり方の違いが出ているようでおもしろい。



「西の魔女が死んだ」と「つぐない」と「イースタン・プロミス」には13歳ぐらいの少女が出てくる。

物質的にも恵まれ、両親と祖母から当然のように愛され、それでも自分が何か不幸だと感じているような「西の魔女」の主人公のまいは、「イースタン・プロミス」に出てくるような何もないロシアの寒村で育ち騙されてロンドンに売られてレイプされた末に妊娠し、出産と同時に命を失うような同い年の少女がいることを考えたことがあるのだろうか?


口に出せない不満でふくれ上がっているようなまいとその母親は、13歳の時に犯した過ちを一生背負って生きねばならなかった「つぐない」のヒロインの気持ちを慮ることができるのだろうか?


自分自身しか目に入ってないような「西の魔女」の登場人物達にはつくづく辟易してしまう。



「奇跡のシンフォニー」の主人公は同じ年頃でも男の子だ。

男の子は女の子程性的被害者となる可能性が高くないので、気軽に家や施設を飛び出して野宿できたりする強みがある。要するに、冒険できるということ。自分でいろんなことをできる幅が女の子より広いのは羨ましい。

施設を飛び出し、自分で自分の道を切り拓いていくエヴァンの姿は児童文学の昔ながらの主人公そのままだ。


それは大人が子どもにこうあって欲しいと願う姿にすぎないのかもしれず、現代の子ども達のリアルな姿は「西の魔女」の方こそ正しいのかもしれないが、映画はフィクションだ。セオリー通りの主人公の方が安心できる場合もある。



「ミラクル7号」はまさにセオリー通り。子どもはこうじゃなくちゃいかん、等とつい思ってしまった。

ただしセオリーと違って、主人公の男の子を女の子が、その子を慕う女の子を男性プロレスラーが、さらにその女の子を慕う男の子を20代の女優が演じるという逆転劇が生じている。全体的な虚構性を高めることで、ナナちゃんというCGキャラの虚構性を薄める事に成功していたと思う。


それにしてもこのナナちゃん、どう見ても実際にそこにいるとしか思えなかった! あれだけ笑えるような姿じゃなかったら、実際にああいう生物がいると観客は信じたに違いない。



CGといえば「インディ」のハリソン・フォード、どれだけ修正してたやら。ポストプロダクションに時間がかかったのはエアブラシで俳優達の顔の皺を一本一本消してたからじゃないのか?



「シューテム・アップ」と「イースタン・プロミス」と「アフタースクール」では生まれた赤ん坊が自分の子ではないのに進んで育てようとする大人が中心人物だった。赤ん坊は人類の希望そのものだから、彼らが大事にされている映画を見るとほっとする。


この3本はそれぞれとてもおもしろい作品だった。

「シューテム・アップ」は行き当たりばったりのようで、実に巧妙に話が進んでいくのが素晴らしい。アクションを見るのに難しい内容は必要ないが、話が破綻してるとそれが気になって集中できない。しかし「シューテムアップ」はそのバランスが絶妙で、ストーリー展開に悩む必要もないし強引な展開もアクションで許せてしまう。

何よりクライヴ・オーウェンがかっこいいしね♪


「イースタン・プロミス」と「アフタースクール」は監督の手腕が光る。

両方とも自分が映画の中で見ていたと思っていた世界が実は全くの別物だった、という展開をする物語なのだが、その世界を裏返すやり方が上手いのだ。


「イースタン・プロミス」ではごくごくさりげなく、すっと返して観客に見せる。あたかも茶道のお手前の様に。

「アフタースクール」ではスパンと鮮やかにひっくり返して観客の度肝を抜く。お好み焼き……それも焼きそばの入った広島焼きを名人が目の前で返してくれたような感じで、思わず拍手したくなる。


ヴィゴ・モーテンセンと大泉洋、彼らをキャスティングした段階で作品の成功は約束されたものだったかも。



最後に「ジュノ」。

このヒロインは言ってみれば上3本に出てくる赤ちゃんの母親にあたる。産んだ子を自分では育てられずやむを得ず養子に出す方だから。


ジュノは映画を見れば分かるが、映画や小説や歌詞等から自分以外の様々な人生に触れている子である。「西の魔女」のまいとはそこが違う。だから彼女は自分を客観的に判断することができる。生んだ子どもを自分で育てることは、誰にとってもプラスにならない――そう判断し、心を決めたら、もう迷わない。赤ちゃんのために最高の家庭を自分で見つけようとする。それが彼女の強さであり、聡明さだ。


血の繋がりは赤ん坊が幸せに育つための絶対条件ではない。

誰の子だろうと大事にしてくれる人の元で育つことが重要なのである。


6月に見た映画は口を揃えてそう言っているようだった。