ブログネタ:男、女、子供、老人、どの幽霊が怖い?
参加中
本文はここから
ってゆーより、仮に存在したとしても、幽霊は私には見えないと思うので、見えなければ恐ろしいと思える道理がない、と言った方が正しいかも。
えーとですね、これは「私には見えない」と言っているだけであって、「見える」という方の御意見や幽霊そのものを否定しているわけではありません。
人間の知覚というか認識力というものは自分の肉体の範疇を超えることができないので、自分に見えないものを他人が「見える」と言うのなら、そうなのかと思うしかないんですよね。それはその人がごく一般の人とは違う可視領域を持っているせいかもしれないわけです。
例えば紫外線や赤外線の部分まで見えちゃうような人達がいて、その人達には「幽霊」や「霊」が見えるのかもしれない。それはもう、そういう知覚を持っている人にしか分からない世界です。
それは例えば、子どもの頃から体のあちこちが痛くって、それで何度もお医者様に行って様々な検査をしたけれども、どこにも悪い部分はないし病気でもないと言われた。でもどんなに病気じゃないから痛いはずがないと言われても、本人にとっての痛みはなくならない……というのと同じ事なわけで。当事者にしか分からない苦痛も、特定の人にしか見えない「幽霊」も、そう大した違いはないと思うわけです。
これを、
「その痛みは先祖の霊の祟りである」
等と言われたら、言った人の人格疑いますどね(実際に言われた。壺でも売りつける気かと思ったわ)。
話は戻って、原因不明の痛みであれば、検査技術が進めばその原因が解明される日がくるかもしれないわけです。
同様に幽霊が見える人も、脳の仕組みが解明されるにつれその理由が明らかになるのかもしれません。
まあ、昔から「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」というぐらいで、見間違いというか認識の誤りの場合がほとんどではあるんですけどね。人間って結構何にでも顔を見つけてしまいますから。
さて、では幽霊が存在すると仮定して、その正体は何かと問えば、まあ大体の答えは「死んだ人の魂」或いは「霊魂」になるんじゃないかと思います。或いは「肉体から分離した意識」とかね、離脱しちゃった「幽体」でもいいや。現代日本人の場合、何となく「自我意識」そのものなイメージですね。
で、成仏もしくは昇天できなくて、この世に遺恨を残したまま死んだ人の霊が幽霊になるんですよね。で、恨んでる相手をとり殺しちゃったりとか、別に恨んでなくてもたまたま自分の縄張りを侵犯したヤツに取り憑いたりとかするんですよね。
実はね、この辺になってくると、もう「話」になってて、しかもいろんな人がいろんな状況で話した事の集大成になってるので、まるっきり首尾一貫性のないとりとめのないものになってくるんですよ。はっきり言って論理性はどこにもない。
「事実」と「話」の見分け方は、この論理性の有無ですね。
つまらない話でも「事実」ならばそこに何らかの筋は通っています。
おもしろくても「話」であれば、大抵どこかで論理が破綻しているものです。
そうやって判別しフィクションの部分を排除する事によって見えてくるのは、「何かが見える」人でもその「何か」によって直接に危害を加えられることはない、ということなんですよね。
「何か」を見て驚いた拍子に転んでケガしたとか、「何か」を見た後で不運な事故にみまわれたのを、あたかも「何か」が原因であったように関連づけて思い込んだとか、そういうのは幾らでもあるでしょうが。
その「何か」が見た目とても気持ちが悪いものであれば、まあそれは見た肉体の方はショックを受けることもあるでしょうが、しかしそれは相手からの直接の危害ではありません。
だったらそれは、本来恐がる必要のないものだと思います。
「見える」人達が本当に恐がっているのは、たぶん「人とは違ったものが見えてしまう自分自身」なのだと思います。「自分は普通ではないのではないか」という、「異常」に対する恐怖ですね。
でも「普通と違う」人でも、ある程度の数の人が集まればそれはもう「異常」ではなくて単なる「特色」程度になるものです。そういった人達が声を上げることによって、「普通」の人達の彼らに対する理解も生まれます。
たとえばかつて「色盲」と呼ばれたり「色覚異常」と呼ばれていた人達が、現在は「色覚特性」の少数者で認識されるようなりつつあることもその一つです(Wiki )。東京の路線図は、そういった特性を持つ方達にも見やすいように改良が進められていると聞きました。
だから「見える」人達も集まって、何が「見える」のかを具体的に検査すればいいのだと思います。
彼らだけに「見える」ものが何なのか。
それはもしかすると今後人類が地上を脱出して深海や或いは宇宙で暮らすようになった時に有効な視力なのかもしれません。