ブログネタ:願いが叶うためなら、何を断つ?
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やめようやめようと思いつつ、やめられないということは、これは私にとって大切なものだということですよね、そうですよねっ?!
実際、酒やめればダイエットという願いは容易に叶うことはわかっているので、もうこれは神がかりでもなんでもなく、必要とあれば断ちますね。
今の所私には切実な願いがないのでその程度しか思いつかないのです。
でもたぶん、本当に切羽詰まった時にはそんな「何かを断つ」程度の犠牲ではなく、自分の命まで差し出して願いを叶えようとするのでしょうね。
私のお友達に、持病がある上に常に何かの病気に次から次にとかかる人がいるんです。
彼女には大切に育てている一人っ子の男の子がいるんですが、ある時何かの拍子にそのお子さんが出産時仮死状態だったと聞きました。
その時、彼女は、坊やが生きてくれるなら自分の命を差し出してもいいと祈ったそうです。
その後坊やは息を吹き返しました。
彼女は自分の祈りが聞き届けられたと思ったそうです。
だから自分がまがりなりにも生きて息子の成長を見守れるだけで、彼女にとっては恩恵なのだそうです。息子の命と引き替えたのは自分の健康だけで、命まではとられなかったからと。
リウマチで変形した手が痛いでしょうに、それでも息子さんの話をする彼女の顔は幸せそうでした。
私は福引きに行くたびに自分のくじ運の悪さを呪うのですが、その話をきいたあとで、きっと私も何か自分の大切なものを守るために自分のくじ運を犠牲にしたんだなと思うようになりました。
何を守ったのか具体的にわからないのが泣き所なんですがね。
ひょっとしたらまだ見ぬ恋人の命をいつかどこかで救ってるのかもしれないわよ、うん。