「おろち」公式サイト
時代設定が昭和25年と恐らく45年頃なのだけれど、非常にレトロな描かれ方をしているのがまず目を引く。
それは丁度、昭和生まれの私が「大正」の世界をレトロと感じたようなものなのだろう。
平成の現代は昭和生まれにとっては「昭和」の延長にすぎないが、恐らく平成生まれの人から見ると20年前なんてすでにカビの生えた過去なのだろう。そこに引っ掛かっている「昭和」等、前世紀の本や映像といった資料でしか知ることのできない架空の世界と変わりない。
彼らの心には「昭和」がイメージとしてしか残せないのであれば、それをより強く刻み込んで貰うためには実情と少しばかりかけ離れていてもひたすらに美しい世界を描いた方がいい。圧倒的な物量の「美」でそこに存在する醜いものさえ、同じ場にあるのなら美しいものに違いないと見る人の心をねじ伏せ思い込せる――それが耽美の秘めたるパワーだ。その力技を存分に利用して「おろち」の世界は構築された。
レトロに見えて、「おろち」の色彩設計は「スピードレーサー」並に完璧である。
「スピードレーサー」では色彩の数はとても多いが、実は違うのはそれぞれの色相だけで、背景には背景の、車を含めてキャラにはキャラの彩度と明度が決められていて、その中ではほとんどバラツキがないため、一見した時の印象と違って大変目に優しく分かりやすい色彩構成になっていた。
「おろち」でもほぼ同じ事が行われているのだが、「スピードレーサー」程の予算がないのと、そもそもキャラの数が少ないのとで、色彩の数はかなり少なく抑えられている。だがそのキャラの少なさを逆手にとってメインキャラ3人には3原色をあてはめ、どぎつさ一歩手前の強い色を使うことで勝負をかけてきた。3人が纏う衣装がその端的な表現である。
この衣装のカラーを見るだけでも、凝り様が分かるというもの。
この映画では色の強さ=キャラの強さである。
3人並んで拮抗し、誰も負けてません。
赤い服を着ているのが丸顔の美少女、おろち、この映画の語り手である。
彼女が語り手なので、背景も彼女のテーマカラーの赤で統一されている。赤は一番強く見えるので、おろちはが一歩下がって背景に溶け込むよう立つことで、青と緑とのバランスをとっている。
おろち役の谷村美月、雰囲気よく出てました。マンガの「おろち」ほどの神秘性や老獪さには欠けますが、そんなものどうでもよくなるほど赤い衣装と重たい編み上げのブーツが似合ってました。
これらの衣装の色は、日本女性の黒髪の色とひきたてあい、スクリーンの中で非常に美しく妖しく輝いていました。
黒は髪の他にもう一つ、影としても存在するのですが、とにかく彼女達の衣装は「黒」とのコントラストが抜群に映えるのですね! 私にとってはそれだけで有無を言わさぬ耽美の世界で、もはや現実の昭和45年ぐらいとかけ離れているかもしれないとしてもどうでもよくなっておりましたよ。
緑のドレス、一草(かずさ)役の木村佳乃、「スキヤキウェスタン ジャンゴ」でもそうでしたが、地獄を見せられてイッちゃった系の演技が真に迫ってるというか……一見、おとなしそうでわりと普通見える分、その豹変ぶりにタジタジとさせられます。SでもMでもどんと来いの被虐的な美しさに満ちておりました。
青いワンピースの理沙は、胸の開いたドレスで自分を無理矢理セクシーに見せかけている姉よりも、自分のバストが大きい事を承知していて、襟の詰まったワンピースを着て胸を露わにしない事で姉に気を使っているフリをしつつ、実際は体の線を浮き上がらせるデザインで自分の立派なバストを誇示しているしたたか者の妹。この辺り、衣装デザインからすでに性格設定がなされているというか。
理沙を演じる中越典子はNHKの「サラリーマンNEO」では「山羊座のO型」OL役で、何かのきっかけですぐに極端に走る役を好演していましたが、「おろち」でもそのまんまでした。まあ、性格はかなり暗くなってたけど。
この「イッちゃった系」と「極端に走る」女の壮絶な虐め合い虐げ合い(同じ漢字ですが前者は「イジめ」後者は「シイタげ」と読みます)が、たぶんこの映画の見所なんでしょう。そこまで淡々と進んできたストーリーが一挙に熱を帯びるというか、突然別の映画になるというか(昔よくあった「女囚物」とかそんなヤツ)。
あ、これは東映の映画だったわ、と改めて納得したりして。
で、この、緑と青の嬲り合いを「笑ウセールスマン」喪黒福三と同じ必殺技(ただし無言)でおさめるのが赤のおろちなのでした。
「おろち」のテーマって、美女、美少女が徹底的にいじめ抜かれ、しかも何故かそれを甘んじて受け入れている部分をしつこく徹底的に描きたかっただけなんだな、と映画を見て思ってしまいました。
でも、そんな内容でも、美しければOKなのさ!
耽美恐るべし!!