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理想的な上司さえそこにいれば、職種はなんだって構いません! 

今の私にとって理想的な上司といえば、それは「CSI」のグリッソム主任!
男前で有能かつ部下思い、男女差別、人種差別ナシで言うことなし!

次が「CSIニューヨーク」のマック。
上に加えて腕っ節も強いですが、向こうっ気も強いのが玉に瑕ですか。

こういう上司がいたならどんな仕事場でもパラダイス。例えブタ小屋の泥をかき分けて人骨を探そうとも、腐乱死体から身元を割り出すための歯型を取ろうとも、その苦労が報われるというものです。

理想の仕事というのは何であれ、自分のやった事がきちんと評価されることだと思うんですよね。その対価としてふさわしい賃金を得られ、それで生活していけるなら満足ではないでしょうか。

逆にどんなにお給料がよくても、イヤや上司や物分かりの悪い同僚に囲まれ、自分のやった仕事の結果を横取りされたりしてたら、人生つまらないものになると思います。


大事なのは「仕事の成果ふさわしい対価を受け取ること」だと思うんですが、残念ながらこれが案外そうではないんですよ。

自分の好きなことを仕事にしようとすると、雇用する方はね、「好きなことをやらせてやってる」という分、賃金からそれを引くんですよ、日本では(他の国でもそうかもしれないけど)。

映画が好きで好きで、映画関連なら何でもいいから仕事したいなんて持ってる若者は、その情熱を食い物にされて低賃金で重労働をさせられた挙げ句、若さによる体力と情熱を失った頃にはポイ捨てされるのが常です。よっぽど才能があるか、タダ働きでもいいから映画の現場に加わっていたいと願うか、その2種類の人でなければ残っていけないものなのです。


それはそれで才能の振り分けには役立つのかもしれないけれど、せめて労働した分の賃金ぐらいまともに払って欲しいですよ。「好き」だけでは飯は食えませんから。

でも、業種に限らず、その仕事が「好き」であれば、その「好き」につけこまれ足元を見られ、労働の賃金は割り引かれてしまうものなのです。だから本当に「好き」なことは趣味にして、本業は別にもって生活の手段を得るのが生きていく上では賢いやり方なのかもしれません。いささか物足りないにしてもね。


雇用主じゃなくても、全然関係のない他人でも、「好き」なことで飯を食っていこうとする人間には、実際にそれで飯が充分食えるようになるまでは、とても冷たいものです。


「仕事」は「好き」なんて甘い気持ちではやってられない、なんて思い込みが世間のどこかにあるんでしょうね。


だから、仕事を「生活の手段」と割り切った時、それを少しでも楽に、また楽しいものにするには、よくできた上司や気心の知れた同僚が必要になるのです。

そういう仲間に囲まれて仕事ができるなら、それが私の理想の仕事です。