フリーパスのおかげで、かつてない程大量の邦画を1ヵ月の間に見ました。もうしばらく見なくていいや……。


・「20世紀少年」


・「崖の上のポニョ」 


・「ゲゲゲの鬼太郎」


・「デトロイト・メタル・シティ」


・「グーグーだって猫である」


・「シャカリキ」 


・「おろち」


・「フライング・ラビッツ」 


・「アキレスと亀」 


・「パコと魔法の絵本」


・「おくりびと」


・「次郎長三国志」 


まず、これだけの邦画がシネコンにかかっているというのに驚き。

見なかったものは「仮面ライダー」や「ウルトラマン」といった(さすがに一人で入るのが恥ずかしい)特撮系。

見る気のなかったものは「花より男子」と「イキガミ」といった知らないマンガ原作系。


もっとも「20世紀少年」も「デトロイト・メタル・シティ」も「シャカリキ」も「グーグーだって猫ある」も知らないマンガ原作ではあったのよね。ただし「DMC」以外は描いた人やその人の他の作品は読んだことがあったのが違う点(「DMC」の場合は、ジーン・シモンズが出演するのを予告で知った瞬間に見ることを決意した)。「ゲゲゲの鬼太郎」や「おろち」は、言わずと知れた名作コミックだし。


というわけで、期せずして現在の邦画がいかにマンガ原作に頼っているかを如実に体験した1ヵ月でもありました。


ウェンツの「鬼太郎」とか「シャカリキ」や「デトロイト・メタル・シティ」等を見てると、マンガ原作を映画にする際のセオリーというのがある程度できあがってきていることを感じます。スクリーン上の映像を見ながら、これがマンガだとこういうシーンになるな、というのがイメージできるんですよね。


以前はマンガを見ながら映画だとどんなシーンになるだろうと空想するものでしたが、ここにきて3次元と2次元の価値が逆転したというか。


2次元の絵では表現しきれなかった部分を、3次元の素材を使い動きを持った映画にするというのが昔は夢だった筈なんですが、今は映画を見てその映像を2次元のマンガとして想起しやすいように作っている。編集はマンガのコマ割のようだし、セリフはあたかもフキダシの中に入っているかの如き短さで、俳優達の演技も喜怒哀楽が一目でわかるような記号化されたもので構成されています。これなら確かにマンガを読み慣れた観客に受け入れやすい映画になるでしょう。


コミックと映画の間に違和感を作らない……これが最近のマンガ原作映画を制作する上での秘訣なのでしょうか? もっともそれでヒットするとも限らないのが、映画の恐ろしい所ですが。


私、今回はお金払ってないので(←これ重要)上記3作品はどれも楽しめました♪ これらの作品は、監督が自分のやりたいことをしっかり貫きつつ、原作読者を含めた観客へのサービスも忘れていない、まとまりのいい作品だったと思います。



さて、9月に見た邦画の中で「ポニョ」はもう別格ということにして、それ以外で私が一番おもしろいと思ったはやはり「おくりびと」。そして次が「おろち」でした。


この2作品は邦画でありながら、言わばハリウッドスタイルで作られているので、当然私の好みにピタッとはまってくるわけです。一言で言うと、ムダがないの。それでも「おろち」には多少もたつき感があったため次点にしました。



退屈一歩寸前だったのが「グーグーだって猫である」と「アキレスと亀」。なんでしょう、日本には芸術映画は人を楽しませてはいけないという思い込みでもあるのでしょうか。それでも一歩寸前で踏みとどまっているのは、「猫」は小泉今日子が美しいから、「亀」は構図が素晴らしいから。私には美しいものさえ見られれば、たぶんどこかそれで満足してしまう部分があるからでしょう。


大蛇(おろち)、猫、亀、ときたらお次は兎? 

「フライング・ラビッツ」は見ている間はおもしろいんだけど、「だから、なに?」という疑問クエスチョンマークとなって見ている最中ずーっと頭の上に浮かんでいるような映画でした。一体何故誰がこの映画を作ろうと思ったのか、それも謎です。いやだって、主役の子の魅力が爆発してるわけでもなかったし(←大体名前も覚えてない)、アイドル映画でもないなら、一体何故今の時期にこれを???



意外にハマったのが「次郎長三国志」。

「清水の次郎長」って、名前だけは知っているもののどういう人物でどういう話なのかよくわかっていなかったのでお勉強代わりに見に行きましたが、日本人がどういう心意気に「美」を感じていたか(残念ながら過去形)のルーツを知った思いでした。

豪華キャストだったんだけど、平均年齢がいささか(嘘。かなり)高いのが画面にもはっきり現れていたのがちと残念でした。



タダだから我慢して最後まで見たのが「20世紀少年」。

タダでも見たことを後悔したのが「パコと魔法の絵本」。


理由は簡単。この二つは映画らしい映画の体裁をとっていないから。


「20世紀少年」はテレビの連ドラを2クール分ダイジェストにして、「ひき」の部分だけ長めにピックアップしてくっつけたような作品。同様の作品にJJエイブラムスの「MI3」があるけどさ、こっちは少なくともスリルとサスペンスとトム・クルーズを充分味わえた分マシだったわよ。



「パコ」に至ってはテレビのドラマでさえなく、民放のバラエティ番組をそのまま持ち込んだようなもの。


私、家でさえも民放のバラエティは騒々しいから大嫌いなのに、映画のスクリーンでそれを延々と見せつけられるとは思わなかった。



しかし現実にヒットしているのはこの2作品だったりします。


つまり、日本人、映画に映画を求めなくなってるんですよね。


特に映画ファンではない人達が映画館に足を運ぶ時、そこに求めるのはハリウッド大作が打ち出す一種のイベント感か、或いはいわゆる芸術映画が醸し出すそこはかとない普段と違う高級感か、「名作」「泣ける」とある程度内容に察しのつくものか、さもなければ御家庭でいつも楽しんでいるマンガやテレビ番組がちょっとバージョンアップされたようなものを期待しているということなのでしょう。


映画が興行である限り、制作側は観客が求める物を提供しなければなりませんから、今後ますますこの風潮は高まっていくに違いありません。



それでもそうやって邦画の裾野が広がれば、また新しい作品が生み出される可能性も高まるかもしれないわけで……今はそれに期待しましょう。「おくりびと」が健闘しているのがせめてもの幸いです。