サラダは何ドレッシング? ブログネタ:サラダは何ドレッシング? 参加中
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ドレッシング、かけません。少なくとも自宅でサラダ食べる時は。

私、究極の薄味で物を食べる人間でして、野菜はその野菜の味で食べます。塩もかけない。ほとんど牛とか羊とか兎のレベルですね。

かといって別に生野菜好きなわけではないです。広大な草地を眺めてさあ食うぞと興奮したりはしない。私、牛でも羊でも兎でもないので。

じゃあどうして好きでもない生野菜をそのままバリバリ塩もかけずに無理矢理食うハメに陥ったかというと、全ては幼少期の激しい好き嫌いのせいですね。

私、生野菜も嫌いでしたが、それ以上にドレッシングが嫌いでした。

理由? 好き嫌いに理由なんかありませんよ。たぶん見た目がイヤで匂いがイヤで味がイヤだったんでしょう。要するに濃い味が嫌いなの。マヨネーズも子どもの頃は嫌いだった。ついでにいうとミートソースも嫌いで、茹でたスパゲティーには塩だけふって食べてたくらいで。そういえばケチャップだって嫌いだったわ。

つまり、できあがったものに、卓上でさらに味を足すという行為が、好きではなかったという事ですね。日本家庭だから当たり前のように食卓にあった醤油が唯一の例外。日本食のおかずは醤油をかけて味付けが完成するものた多いから。

というわけで究極の二者択一ですよ、どうしても生野菜を食べなければいけないハメに追い込まれた時は。
・嫌いな生野菜を我慢してそのまま食うか
・嫌いな生野菜にさらに嫌いなドレッシングをかけていやいや食うか

だったら何もドレッシングかけていやなものをさらにいやにする必要はないので、生野菜をそのまま食う方を選びますって。気分はすっかり牛羊兎だけど。

だから食べるのにすっごい時間がかかるんですよね。
あ、ほら、野菜って塩をふれば浸透圧で水が出るからかさが減って食べやすくなるでしょ。
私、その方法を最初から排除してるんで、野菜のかさが一切減らないままなんですよ。
レタス1個、塩や油(ドレッシングね)をふることでかなり体積が減るはずですが、それをしないまま食うことを考えてみて下さい……ほら、気分はもう兎さん♪


日本のレストランではサラダも大変美しく美味しく盛りつけられて出てきますから、大人になった今は最初からドレッシングがかかっていても文句を言わずに頂きます。実際、「このドレッシング、美味しい」と思うこともありますし、野菜が食べやすくなっている事に感謝することもしばしばです。分量的にも可愛らしいものですしね。

でもそれはあくまで日本の話で。

去年空前のポンド高(1ポンド260円近く)の最中に故あって友達とロンドンへ旅行した時、二人とも貧乏なんでまともなレストランなぞには入らず食事はカフェとテイクアウェイで適当にすましてたんですが、3日目ぐらいになるとさすがにそろそろまともに野菜とらなきゃ死ぬでって気分になり(体は正直)、カフェで席をとってサラダでも注文するかって話になったんです。

とはいえ、サラダだけってのも寂しいので何かお料理をとって……なんて話してたら、その時目の前を別のお客様が注文したそのお料理が横切っていったんです。なんとそれがサラダでもないのに角切りレタスが山積みになっていて!

あ、あれならサラダいらないや、お料理だけとれば充分だわと一気に気が楽になった私達、久しぶりに形ある肉と魚をウキウキと注文いたしました。

待つことしばし。

運ばれてきたのは巨大な皿の上を埋め尽くしたレタス&申し訳程度のパプリカその他、それにメインの肉(友達は魚)でした……。

こ、これが「付け合わせ」としてのレタス量ならば、サラダとしてメインで注文した時のレタス量は一体どのくらいだったのだろうと目の前が緑色になりましたよ。

私、好きなものから平らげていくタイプなので、お肉は温かい内にさっさと食べてしまったのですが、さて困ったのは皿一面に残ったレタス&その他。野菜不足を解消するためにわざわざ注文してるのだから、これを残したのでは本末転倒になってしまいます。でも、はっきりいって体が求めているのは緑黄色野菜で淡色野菜のレタスじゃないんですよねー。こんな薄緑の葉っぱ、なんぼ食べたってしようがないわい……なんて捨て鉢な気分にもなろうというもの。

しかし生野菜にはもう一つ、栄養価とは別に人体に必要な食物繊維が含まれています。これはビタミンAと違いレタスにもばっちり含まれております。朝のさわやかなお通じと、帰りの飛行機でエコノミークラス症候群にならないためにも、ここは全部食べておかねば。

これだけの事を考えて自分自身を説得した私は、皿の上のレタスを全て食べる決意を固め、おもむろにフォークを使い始めました。

この時、ドレッシングがどうだったかなんて、もう忘れました。

とにかく食べても食べても減らないレタスを機械的にフォークで口に運ぶこと一時間。とうに食べ終わった友達には
「ねえ、そのレタス、さっきよりふえてない?」
とからかわれる始末。

確かに30分食べ続けても終着点の見えて来ない皿には異世界からの通路でも開いてるんじゃないかという不気味ささえ感じましたね。ひょっとしたら私がよそ見でもしてる間に友達がこっそり自分の皿のレタスをごそっと私の皿に移し替えたんじゃないかと疑いたくなった程です。残念ながら私よそ見してなかったんで、そんな事はあり得なかったんですが。

途中でお塩ぐらいかけたような気がしますが、多少のふり塩などものともしない細胞壁の頑丈なレタスで……全然体積が減らないんですよ。気が遠くなるかと思った。


いい加減顎が疲れて、兎さんってえらいなあと人間としての誇りさえ失いかけた頃、ようやく最後のレタスがなくなりました。ご飯食べる前よりずっと疲れた気がしましたよ。


こんなレタスなんか、中華風に炒めたりスープに入れたりしたらすぐに全部食べられちゃうのに!

サラダという料理の存在意義に対する疑問さえ湧いた体験でしたね。そもそもサラダがなければドレッシングだっていらないのにさ!(←そこまで嫌いか)


この経験を元に次のロンドン滞在の時には日本から乾燥ホウレンソウを持ってって、ホテルでお湯湧かして戻して春雨スープ(こっちはフリーズドライ)に入れて食べてましたよ。おかげで長期滞在でも野菜不足に陥らずお肌はピカピカ、お通じはすいすい、ポンドの残高(?)も余裕しゃくしゃくでした。今後ともイギリスでサラダを注文することはあるまい。

というわけで、サラダはノードレッシング。ってゆーかノーサラダでもいいわ、私。