「X-ファイル:真実を求めて」(公式サイト )
20世紀が終焉を迎え、21世紀になってもスカリーとモルダーは平和に暮らせないのね、というお話。
*下の方でちょっとだけ内容に触れてます。
「X-ファイル」はテレビシリーズで一度終わっているはずなので(すいません、最後の方は見たかどうかも覚えていません)、今更映画化する必要があったのかどうか……。テレビシリーズのエピソードの続きを映画でやるというわけでもないので、逆にいえばここでスカリーとモルダーを引っ張り出してくる必然性ってほとんどないんですよね。
私がこの映画を見ながらずっと感じていたのは、このプロットだと今なら「CSI」だなということ。
あ、もちろん細かい部分で修正しなければならない点は幾つもあります。基本的にスカリー&モルダーはFBIで捜査を行うので行動半径がCSIの人達とはまるで違いますから。それは非常に大きな違いだと思います。ラスベガスやマイアミやニューヨークでは出来ない犯罪というものが確かにあるんだと、アメリカって広いわと、つくづく思わされましたから(撮影したのはカナダだと思うけど)。
けれどもプロットの大筋だけを辿れば、これは「CSI」で充分できてしまう。実際に最先端の技術を使った(ただしまだ実際は実験段階)エピソードは幾つも作られているわけだし。
それを無理矢理「Xーファイル」にもっていくために手がかりの与え方を特殊なものにしたんですよね。そのやり方が今度は同じテレビシリーズでも「ミディアム」の方だったりします。
「宇宙ではあなたの悲鳴は誰にも聞こえない」というのは確か「エイリアン」の名コピーだったと思いますが、「アメリカではあなたの悲鳴は(上手くいけば)霊能者が聞いてくれる」みたいです。生きてる内に届けばいいんですが。
「ミディアム」も21世紀のドラマなので、「CSI」同様に「Xーファイル」とは根本的に違うものをもっている。或いは持っていないというべきか。
「X-ファイル」には「センス・オブ・ワンダー」がありました。いや、それがまだ残っていたというべきかな? 20世紀に一世を風靡した「SF」の中核をなすものですね。いわば物事を不思議と思う力ですよ。
「X-ファイル」には不思議で始まり不思議で終わるようなエピソードが多かった。謎は解けても不思議は残るといった味わいがこのドラマの売りだったと思います。曖昧模糊とした不思議の霧の中をモルダーの洞察力を一筋の光に、スカリーの検証力を心の支えにくぐり抜けてなんとかゴールには辿り着んだけれども、自分の周りも進むべき道もまだ霧に閉ざされたままといったイメージです。
この「先の見えなさ」がね、実は世紀末の閉塞感とか破滅への予感(ノストラダムスの予言は結構多くの人に漠然と信じられていた)に通じて「X-ファイル」を時代の寵児へと押し上げたんですよね。
でも21世紀は容赦なく人類の元へやってきました。
恐れていた破滅はなかった。
混沌とした世の中が変わったわけではないけれど、携帯電話の普及によって「今あの人は何しているかしら?」は疑問ではなく「今何してる?」という質問に変わった。
この違いはとても大きいです。
「あの人は今何しているかしら?」
という疑問が解消されるまでの時間って、人はあれこれと想像をめぐらすものでしょ?
その想像に費やす時間の中で疑念とか不思議に思う心がどんどん湧き上がってくるんですよ。
ケータイでない、普通の電話でさえ、こちらがかけた時に相手にすぐつながるかどうかというのは確証の持てない、不思議の霧の中にあったんです。
でもケータイは違う。
かければすぐに目指す個人が出る。出なくても何となく連絡が取れた気になってしまう。電話以外にメールができる。一度つながればそのままリアルタイムでやりとりができる。即時に反応することで相手とつながっているという一体感を得られ続けるんですよね。
タイムラグがない時代になって、ゆっくり物事を不思議がっている心の余裕も失われました。
そこに登場したのが「CSI」です。
「CSI」には「不思議」はない。
常軌を逸した謎は幾らでもあるけれど、それをドラマの中で不思議がったりしないんですよね。
人間のやった事なら絶対説明が付けられる、まずそれが前提になってます。
CSIのメンバーは並外れた観察力と洞察力の持ち主ばかりなので、物証を見るだけで遅滞なく何が起こったか推理ができる。実はモルダーも全く同じ事をやってたわけですが、モルダーはそれを言葉でスカリーに説明していたところを「CSI」では再現映像にして視聴者に見せてしまう。百聞は一見に如かずで、視聴者は自分で言葉を反芻して考える事なしに一目瞭然で何がそこで起こったのか理解します。
このタイムラグのなさが非常に現代的です。視聴者に想像の余地を与えていないという点で、ケータイ文化に通じますから。或いはもはや視聴者の想像力には頼れないという実情を踏まえているのかもしれません。
「X-ファイル」の醸し出す不思議さとか不気味さというのは、つまりは見る側の想像力に訴えるものでした。20世紀のすぐれたホラーは皆そうです。霧の中にあるものは、それが何か分からないから不気味なんです。何が起こるか分からないから恐怖を感じ、背筋が粟立つ。
だから正体が分かっちゃったら、実はもうホラーではなくなるんですよね。
ジャンルでいえば「CSI」は最初からSFでもホラーでもないミステリーとして制作されているので、霧の中をサーチライトで煌々と照らすような演出がなされているわけです。その上でおもしろいのだから文句のつけようがありません。
実際に20世紀のホラー界で主役を張ってた狼男とか吸血鬼は「CSI」では一種の遺伝病という形で登場してくるんです。それが21世紀なんですよ。それまで「不思議」の霧に隠れていたものを最新技術と知識により「病気」という形で日常レベルで見せてくれる。その番組で語られる「最先端の科学技術と知識」がどこまで本物でどこからがフィクションなのかは一般視聴者には分かりませんが、20世紀に霧に隠れていたものをサーチライトで照らして形を露わにして見せるのが21世紀的な手法とは言えましょう。
20世紀の不思議は、21世紀には日常になる。
「ミディアム」であれば、視聴者から見ればヒロインのアリソンが霊能力を持っているのは不思議なことではありますが、アリソン本人にとっては霊能力の発現は至極当たり前のことであり日常茶飯事になっています。何故その能力がアリソンに現れるのかというのが不思議な部分ですから、その部分さえとっぱらってしまえばアリソンは自分の日常を生きているのにすぎないんですね。
結局、20世紀どっぷりだった「X-ファイル」はそのままの形で新作を作ったなら21世紀にはどうしたって時代遅れにしか見えないという事なんです。時代の方がすでに変わってしまったんですから。
それをね、作る側が一番分かってましたね。
今もう一度スカリー&モルダーを出して「X-ファイル」作ったって、後日談にしかならないだろうという事を。
そういう気持ちをねじ伏せるようにしてとにかく映画として破綻のないように作品を仕上げてはいましたけれど、伝わってくる監督本人の気持ちというのが
「終わったものは、もうそっとしておいてくれ!」
「いつまでも過去の亡霊(この場合「X-ファイル」そのもの)にとらわれていたら次の段階に進めない!」
「過去は手放した。いい加減新しいことをやらせてくれ!」
みたいなものばっかりでしたから。
キャラクターを愛している作品のファンは、物語が結末を迎えてもその先を知りたがりますけれど、クリエイターにとってその作品は――例えどんなに愛していても――過去のものなんですね。特にフィクションとして完全に一つの世界を作り上げてしまった場合、その続編というのはありえない。
クリス・カーターにとってスカリー&モルダーはもう「終わった」キャラクターでした。
もう一度命を吹き込もうとしても、かつての生き生きとした魅力は戻って来ない……。
それがはっきりと理解できただけに、私にとっても非常に残念な作品になってしまいました。
あとはもう、スカリー&モルダーが幸せな余生をおくることができるよう祈るだけです。