「ワールド・オブ・ライズ」(公式サイト)


この作品は「地球が静止する日」とは逆に、公開時期がリーマン・ブラザーズ破綻以降になったためにワリをくった作品と言えるだろう。12月20日封切りの日本でもそうだが、10月初めに公開されたアメリカなら尚更だ。


アメリカの平和を脅かす外的であるテロリストをはるばる出向いてまでやっつける余裕も経済基盤あってこそ。国内の景気がどん底で自分達の生活さえ危うい状況の時、国家予算を湯水の如く費やしてテロの潜在的脅威を事前に叩くための諜報活動の話など落ち着いて見ているだけの心の余裕はないだろう。危機はもはや国外ではなく、国内の経済にあるのだ。


しかしたとえ公開が破綻前だったとしても、この作品がアメリカに受け入れられたかどうかは怪しい。

監督のリドリー・スコットはイギリス出身だから、必ずしも常にアメリカ人に受け入れやすい作品ばかりを撮っているわけではない。「キングダム・オブ・ヘブン」などはヨーロッパでは非常に人気が高く全世界での興行収入は2億ドルを突破しているのに、アメリカ国内では失敗作扱いである。「ワールド・オブ・ライズ」の興行成績はその「キングダム・オブ・ヘブン」にさえ遠く及ばない。「キングダム~」の時は失敗の理由が主演がラッセル・クロウじゃなかったからだ等とさんざん言われたものが、そのラッセルの出演作だというのにこの体たらくなのである。


映画が作品としてダメなわけではない。

映像もストーリーも音楽もキャストも一流だ。

だが、ここで描かれているアメリカはちっとも正義の味方じゃない。

この作品の中ではラッセル・クロウ=CIA=アメリカという図式が成立するのだが、そのラッセル・クロウが役作りのために増量したせいもあってちっとも格好良くないし、その上イヤな奴なのである。


すなわちここでは国家としてのアメリカは、権力にあぐらをかきダイエットの努力さえ怠っている傲慢で飽食の親父の姿を借りて表現されている。常に何かをつまみぐいしながら、世間に対しては家族思いの父親であることをアピールし続けている。恐らくそうすることで自分でも自分が家族思いだと信じようとしているのだろうが、彼の中に愛や思いやりといった優しい感情はない。


誰だってそんな醜い自画像が自分のものですよと言われたらいやだろう。たとえそれが実際に鏡に映った姿と瓜二つだったとしても、他人にそれを指摘されるのは許せない。それがこの映画がアメリカで受けなかった理由なのではないだろうか。


それでも景気がよくて心にも懐にも余裕のある時なら、そういう厳しい指摘も鷹揚に受け入れて自己批判などしてみようかと思う向きもあったかもしれないが、残念ながら結果的にその時期を失してからの公開となったのが不入りに輪をかけたのかもしれない。



ところでこの映画の主人公はレオナルド・ディカプリオの方である。彼は仕事をしつつ人間性も失うまいとしてアンビバレンツに苦しむ古典的なヒーロー像を熱演して素晴らしかった。ストーリーは彼を中心に展開するし、行動するのもほとんどレオ君だ。「タイタニック」のジャックのはかなげな面影はすでになく、剛毅で凄腕のプロフェッショナル。彼の今の年齢と容姿にぴたりとはまった最高のキャラクターだった。


それなのに、そのレオ君を電話の指令だけで働かせているラッセル・クロウの方がずっと存在感が大きいのである。出番だって多くはないのに、映画の中でレオ君に、映画館の中では観客の上に君臨している。見かけはメタボなのに何故そこまで影響力があるのかというと、彼の深い声と喋り方に圧倒的な支配力が潜んでいるからなのだ。リーダーにふさわしい声音というのがあるのなら、まさにラッセルの声がそうだろう。



ラッセルの掌の中で悪戦苦闘するレオ君の姿は、やはりどこか痛々しい。どんなに逞しくなってもレオ君の魅力はこの痛々しさにある。そしてラッセルの魅力は声だけで人を従わせるそのカリスマ性にある。


だからリドリー・スコット監督はこの二人の魅力をとことん引き出していると言えるのだ。それだけでもこの映画を見る価値は充分にある。