ブログネタ:年明け早々「やっちまった!」と思ったことは?
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本文はここから と思っていた矢先に叫びましたよ、「やっちまったー!!!」って。
今週の「ER XⅢ」完全に忘れて見逃してしまいましたーっっっ。
いや、実は見ようと思っていた「銭ゲバ」の第一回も見逃したんだけど。
でもこれは「やっちまったー!」ではないのね。というのも、「銭ゲバ」に関しては第一回がいつなのかイマイチ把握してないまま、気づいたら二日も前に初回が終わっていたの。なんか勝手に19日だと思い込んでいたら17日だったのよー。えー、「17」も「19」も同じ10の位の素数だからうっかり間違いやすいんだってば。
というわけで、これはミスの中では「思い違い」に当たるので、ミスを犯した際に「やっちまったー!」という言葉は出ないんですわ。
「やっちまったー!」が出るのは、「うっかり」ミスで、しかもそれを飽き飽きする程何度も繰り返している時。何度繰り返しミスしても学習しない自分に対して「またかよー」みたいな思いがある時に口をついて出る言葉、それが「やっちまったー!」
こう言う場合に口に出る「やっちまった」には「しまった」感がつきまといますね。
Aという行動をとれば、Bという結果が出ることがわかっていて、そしてそのBという結果が好ましいものではない事を百も承知していて、それでも気の緩みからうっかりその行動Aをとった結果当然Bが起こった事に対し、「こうなると分かっていながらどうして同じ事を繰り返しやっちゃうんだろうね」という思いが「やっちまった」という言葉に集約されているわけです。これはもう「やっちまった」であり、絶対に「やってしまった」ではない。
つまりワタクシ、「ER」が新シーズンの「XⅢ」に入ってからというもの、繰り返し繰り返し見るのを忘れてるんですな。
このシーズンはNHKBSでの放映が前シーズンから間が空いた事もあって、ホントに最初から忘れまくり。その前のシーズンもぽつぽつと見忘れる事はあったんだけど、今回程ではなかった。今シーズンは3回に1回は忘れてる感じで、火曜か水曜になってから「そういえば月曜日にはERがあったんじゃなかったっけ?」と気づいてTVTAR○のページをめくって「やっちまったー!」と叫んだ事の多いこと。
名優フォレスト・ウィテカーがゲスト出演してたり、「フルハウス」のジェシーおいたんことジョン・ステイモスがレギュラー出演してたり、見どころはあるはずなんですけどねー。それでも忘れる。
やっぱり最初の頃になじんだレギュラー陣が誰もいなくなった事が大きいですよね。
ダグ先生もグリーン先生もいなくなり、カーター先生までシリーズを降板したのでは、自分にとって主役と思っていた人が誰も残ってないわけですから。
ルカ先生はかっこいいけど、でも、やっぱり求心力には欠けるのよね。
これは「アンドロメダ病原体」を書いたマイクル・クライトンの生み出したテレビシリーズで、本当に革新的なドラマだったのだけど、でもシリーズを続けるためにいろいろなことをやりすぎて、何だか最初の頃の魅力がなくなったような気がします。視聴者であるこちら側が慣れたのと、新しいスタイルのドラマの登場でそちらに関心が移ったというのも大きいけれど。
でも医療現場で働く人達の、自分達の命を懸けて他人の命を救うドラマを見せられるたびに、人の命の重要性を感じ取れるから、見続けていたいドラマなんですよね。殺人事件のドラマばっかり見ていると、特にその必要性を感じるの。
線路に落ちた人をその場に居合わせた高校生が咄嗟に飛び込んで助け上げたように、人には他の人を助けたいと思う気持ちが自然に備わっていると、「ER」を見れば感じることができるのです。
だから一回見逃すたびに悔しくて「やっちまったー!」と叫ぶのですよ。
ああ、もうこれ以上「やっちまった」は繰り返したくない。月曜日は気をつけなくっちゃー。