で紹介したヴァラエティジャパンの記事によると、アンドリュー・ニコル監督によるSF逃亡劇“The Cross”の製作費は2400万ドルということ、これってそんなにビッグバジェットわけではないですよね。どうりで「SF超大作」と書かれてないわけだ。

この予算では「ハムナプトラ」シリーズのように最新CGIを全編に渡って駆使とはいかないでしょうから、オーランドが第二のブレンダン・フレイザーになる心配(?)はないでしょう。もっとも彼がそういう役をやりたかったんなら今頃ジェイク・ギレンホールの代わりに「プリンス・オブ・ペルシア」に出てたでしょうが。

ま、だから「SF逃亡劇」なんて銘打たれてはいますが、恐らく現実的な設定でドラマ重視の作品になるのでしょう。ニコル監督だと、初期の傑作「ガタカ」に近いイメージになるのでしょうか。そういえばオーランドはあの頃のイーサン・ホークに似ていなくもない?



「似てるかな?」
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――いえ、全然似てません。

「ガタカ」といえば私がジュード・ロウを初めて見た映画ですよ。あの頃のジュード・ロウは「完璧」の名に恥じない美しさでした。もちろん今も美しいですが。



「呼んだ?」
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いえ、呼んでません。(新作映画で女装姿のジュード・ロウ)で。



ニコル監督は、あのジム・キャリーさえも「トゥルーマン・ショー」で美しく撮った方なので、映像美には定評があります。背景も人物もあまりにも美しく撮るので、それだけで世界が現実離れして見えてくるのですわ。その辺の景色撮ってもSFになる、みたいな。

“The Cross”、「SF逃亡劇」とは書かれてますが、例えば「逃亡者」のように追いつ追われつの行き詰まるサスペンスをアクション満載で描くような作品にはならないと思います。

ブルームは、誰1人成功したことがない、いわくつきの国境越えに挑む男を演じ、カッセルはどんなことをしてでもこれを阻もうとする守衛に扮する

と書かれている通り、「逃亡しようとする男」の奮闘努力と葛藤を静かに描写するものになるのではないかと。何やら制作総指揮を務めた「ターミナル」でのトム・ハンクスとスタンリー・トゥッチの間柄を彷彿とさせますね。


アンドリュー・ニコル監督作品の「ガタカ」、「トゥルーマン・ショー」は、いずれも目に見えない力によって縛り付けられている世界から抜けだそうとあらんかぎりの努力を続ける男を描いたものです。彼らは肉体的に拘束されているわけではなく、行動の自由に制限がかけられている世界に住んでいるだけなのですが、彼らの精神にとってはそれは閉じ込められているのと同様なのですね。その境遇に甘んじる事ができない主人公達がそこから抜けだそうと倦まずたゆまず努力を続け、そしてついに自分の力で新しい世界に旅立っていく……というのがストーリーです。
主人公達の共通点は、決して絶望しないこと。必ず希望を見つけ、それを頼りに自由を手にしようとする。
だから重いテーマなのに、ニコル監督作品には常に奇妙に明るさがあるのです。それは楽観的というのではなく、かといって諦念というのでもなく、本当に希望を信じているからなのでしょう。

「シモーヌ」は見ていませんが、「ロード・オブ・ウォー」はまたちょっと違った作品でした。ここに至ると、抜け出そうとする世界はすでに自分が自分の中に築いた壁というか殻というか……自分で自分の行動に制限をかけてしまった男の泣くに泣けない話だったように覚えています。これが「~をしてはいけない」という制約ではなく、「金のためなら何でもやる」という決意だというのが逆説的でおもしろいんですよね。


“The Cross”ではどんな具合にドラマが展開するのでしょう。この監督、美女と主人公の恋愛も描くものの、主人公とライヴァルの間に芽生える感情もそれに負けないぐらい深く描写しますので、オーランドとヴァンサンがラストシーンでどんな表情見せてくれるのか楽しみでもあります。「ガタカ」でイーサン・ホークのためにジュード・ロウがやったことって、究極の自己犠牲による愛の成就でしたものね(この「愛」が自己愛の延長だったりするあたりがまたおもしろいんですが)。

とにかく、ニコル監督の作品には繊細な心理描写が不可欠なので、起用されるのは名優と折り紙つきの役者ばかりです。その一人にオーランドが選ばれたなんて、大変嬉しいことです。彼の演技力の真価が今度こそ評価されればいいと思います。

誰も越えたことのない国境を越えようとする男の心の中にあるもう一つの境界線。

彼はそれを越えることができるのか、そして越えた時に何を見るのか。

ヴァンサン・カッセルとの間に愛は芽生えるのか(←違うって)。

今から期待に胸が高鳴ります。