「フェイク・シティ ある男のルール」公式サイト


ジェームズ・エルロイって「L.A.コンフィデンシャル」や「ブラック・ダリア」の原作者であるわけで、その彼が3人の脚本家の中の一人として脚本とストーリーを担当して全体的な設定や世界観を作り上げたと思われます。

そこに「リベリオン」の監督でもあるカート・ウィマーがもう一人の脚本家として携わり、キアヌ・リーヴスが演じた主役のトム・ラドローの人物造型を担当したのではないかと。


「フェイク・シティ」って、「L.A.コンフィデンシャル」でラッセル・クロウが演じた役とガイ・ピアースが演じた役を一つにして、その性格を「リベリオン」でクリスチャン・ベールが演じたプレストンにした感じなんですよね。ついでに女っ気は全部抜いて。


「L.A.コンフィデンシャル」にしろ「ブラック・ダリア」にしろ、そこに描かれてるのは腐敗しきった社会です。その中に埋もれて上手く世渡りできるかどうか……そのギリギリの所に生きている主人公がジェームズ・エルロイ作品の特徴で、だから絶対清廉潔白な登場人物というのはありえないんですよ。心に正義感を秘めていたとしても、表に出る行動はそうではない、とかね。全員が腐った世の中で生きていくための方便として何かしら悪というか不正というか、そういったものに手を染めている。それが人間というものだ、というのがエルロイのテーマなんでしょう。


しかし、それはキアヌ・リーヴスには似合わないんです。

大体彼は人間社会にあっても汚穢からどこか遊離した人物を演じて絵になる人ですから。

「マトリックス」とか「地球が静止する日」になると、人間であるのはほとんど外見だけだったりしますよ。


そういう彼がジェームズ・エルロイ作品に出る……そのままでは不可能で、だからキアヌのキャラクターだけカート・ウィマーが書き直したんじゃないかとさえ思います。それでキャラクターとしてはキアヌに合ったんだけど、結果的に作品全体からは微妙に浮いてしまった――そんな印象を受けました。


もう一人、クリス・エヴァンズの演じるハンサムで可愛い刑事さんもいたけれど、彼もカート・ウィマーが書き直したかもしれないです。脇役なのでそんなに登場シーンはなかったですが、いい雰囲気でしたから。


でも、クリス・エヴァンズ自身がトム・ラドローを演じた方がもうちょっとこの映画にははまってたかもしれません。彼はわりと普通の人間ですから。ラッセル・クロウだと似合いすぎですね。


それはキアヌがどんなにがんばっても、結局観客が彼に期待するものとは違いすぎるところに原因があるのかもしれません。「フェイク・シティ」という映画の中でトムが一番清廉潔白な人間だとしても、この映画で設定された世界自体が汚穢にまみれているからです。見る側がキアヌがそんな世界にいることに耐えられないんですよね。


あとの登場人物は、キアヌの刑事仲間が「プリズン・ブレイク」では囚人のスクレを演じていたアマウリー・ノラスコだってぐらいですから言わずもがな。出てくる人物が警察関係なのに全員胡散臭いって、ちょっとキャスティングやりすぎなんじゃないでしょうか。


何がやりすぎかって、フォレスト・ウィテカー出した事に尽きますね。

「ラスト・キング・オブ・スコットランド」でアカデミー主演男優賞貰ったフォレストですよ。その彼がその時の役そのままにカリスマを帯びて熱弁をふるったら、彼の演技がその場は全部さらうに決まってます。寡黙で喋る時も訥々としているようなキアヌ(の役)がセリフでフォレストにかなうわけないです。キアヌの価値はセリフの上手さじゃなくてその独特の存在感なのに、その存在感を生かす場がこの映画には設定されてないんですから。


映画としておもしろくないわけではないのに、最後まで見てもスッキリしないというか、最後まで見たせいでいや~な気分になるのは、キアヌが汚されたような気になるからでしょう。


アメリカで公開された時に興行成績がパッとしなかったのもこれじゃ仕方がないなと納得してしまいました。



それにしてもこの映画に出てくる警察のCSIってどうなってんだろう? ラスベガスやNYやマイアミのチームが出張したら事件なんかその場で解決してるだろうに。もっともそうなったらヤバイってんで、全員まとめて暗殺されちゃうかもしれないけど……。あ、そうか! ここの警察の優秀なCSI捜査官はすでに始末されてしまっていたのね。ひで~話。