ブログネタ:超かっこいい人と超頭のいい人、一緒にいたいのは?
参加中
本文はここから
綺麗事はいいません、私は面食いです。
頭悪かろうが性格ねじれてようが運動神経が鈍かろうが音痴だろうが殺人鬼だろうが何だって構わない、その人の持つ美が最上のものならば、それで私は許します。
その人が私の前にいるならば、それだけできっと私は満足し、一日でも一週間でも一年でもその人だけを見つめて生きていけるでしょう。それが私の求める本当の幸せなのですから。
幸いなことに私が美と認める判断基準は高いので、現実世界でそういう人にお目にかかる事は滅多にありませんが(しょっちゅうあったら、身を滅ぼしてますわ)。
だからまあ、映画を見に行ってはこの世の者とも思えぬ美貌を作り上げるフィルム(或いはデジタル)のマジックに進んでかかってうっとりしてくるわけです。映画とテレビを比べると、映画で見る方がやはり格段に美しいのです。映画にうっとりしてもテレビのインタビュー映像見ると別人かと思う程違う時もありますもんね。テレビで見るよりは、実物の方がずっと美しいとも思います。トム・クルーズやキアヌ・リーヴスもそうですが、映画よりもずっと美しいと思ったのはジェニファー・コネリーでしたわ。これは映画での彼女が監督によって女性的な美しさを全部削ぎ落とされていたせいですけれど。
俗に「美人は三日見たら飽きる」等と申しますが、ワタクシ思いますに、これは「強がり」「やせ我慢」「捨て台詞」「虚勢」「うそぶき」辺りから出た言葉か、或いは誰かに美人じゃない人を紹介する時の苦し紛れに思いついた台詞がそのまま流通しているだけのことでしょう。さもなければ本当の美人を見たことがない人の言葉で、単なる想像の産物とか。
要するに事実に反している言葉であるからこそ、事実に目を向けたくない人達の間であたかも事実の如く有り難く受け入れられている言葉の一つなのだと思います。
少なくとも私は美人、美男も美女も幾ら見ても飽きるということはありません。
ただし、見るだけの話。
会話するなら、どんなに顔が綺麗でも中身のない人は願い下げ。
一緒にいるだけじゃなくて、会話をしたりして仲良く過ごすのであれば、もはや顔にはこだわりません。
超頭のいい人で、それなりに円満な社会的性格を持っていて話して楽しい人なら一緒にいたいですね。相手が自分に退屈してるんじゃないかという恐れを抱かずにすむのなら尚更です。
本当に頭のいい人というのは、自分の頭の良さを鼻にかけたりせず常に謙虚で相手を思いやってくれる人だと思うのですよね。そういう人は本当の美人と同じぐらいに希少種なんだと思います。そして美男美女と違ってそうそう映画に出演してくれるわけでもないので、見つけるのが本当に困難です。ノーベル賞受賞者やそれに類する方々のインタビュー等を聞いているとたま~にいらっしゃいますがね。現実に出会う機会というのは、それこそ海外のスターをプロモーションの際に見るよりずっと少ないかもしれない。
一緒にいたいと思う相手と一緒にいることの方が難しそうです。