トニー・レオン&チャン・チェンが語る『レッドクリフ』の魅力 (バラエティ・ジャパン)


「PartⅡ」を見ると、「PartⅠ」は「PartⅡ」を一切の説明抜きで純粋に楽しむために制作されたのだということがよくわかります。大勢の登場人物と彼らの織りなす複雑な人間関係が、「PartⅠ」を見たことで綺麗に頭の中に整理されておさまっているので、「PartⅡ」を見ながら「これ、誰だっけ~?」と余計なことに頭を悩ますことがないんですよね。


これは映画を楽しむ上で大変重要なポイントですよ。


やっぱり、馴染みのない俳優さんの顔ってよっぽど特徴がなければすぐには覚えられないし、慣れてない言語の名前はそれ以上に覚えにくいものです。スクリーン上で誰が誰だか分からなければ当然彼らの関係性も理解できません。だから映画の冒頭というか導入部分では登場人物を観客に印象づけ人間関係を教えることから始めるし、観客の方はまずそれを一生懸命頭に叩き込むことから映画の中に入っていく。案外頭を使う作業をこの段階で行っているわけで、ここで何かにつまずくと、その「つまずき」が映画の間中ずーっと緒を引いてストーリーに没入するための集中力を乱し、結果的にその作品を楽しめなかったという事にもつながるのです。


「PartⅠ」が「おもしろいんだけどね、なんかね」という「ね」の引っかかりを多々持つ作品だったのは、要するにこの「お勉強部分」が多すぎて、映画全体を通して感じることのできるはずのダイナミズムに乗り切れなかったのが原因でした。


ジョン・ウーともあろうものがこれは一体どうしたこと。やっぱり素材がデカすぎて手に余ったのかなー、なんて考えていた私ですが、「PartⅡ」を見て目が覚めました。ジョン・ウーやっぱりスゴイです。ひれ伏して謝ります。


ジョン・ウーは、「PartⅡ」で最大の効果をあげるために、「PartⅠ」は敢えて捨てたのでしょう。「PartⅠ」は「PartⅡ」を楽しむための予習として見るものであり、彼が本当にやりたかったことは「PartⅡ」に全部注ぎ込んだのです。


そのくらい「「PartⅡ――未来への最終決戦――」はスゴかった!


「ロード・オブ・ザ・リング」3部作と「トロイ」と「キングダム・オブ・ヘブン」と、それと「300」の戦闘シーンを全部足したぐらい、いやそれ以上にスゴイです。


これはもう見なければ分からない。

スクリーンで繰り返し何度でも見たくなる程壮大なスケールーの戦闘シーンの中に、ちゃんと人の感情の機微も描かれていて、最後に胸をうたれます。


予習のためのTV番組は「PartⅠ」のテレビ放映も含めて万全の態勢が敷かれてますのでまずはそれを見て、登場人物達と人間関係を全て把握してから映画館に行きましょう。


2時間半、全てを忘れて三国志の世界とジョン・ウーの美学に酔うこと、請け合いです。