この作品、内容的に単館系以外の何物でもないんだから、単館拡大公開なんぞしなければわざわざ見たりしないですんだのに(←単なるやつあたり)。


単館系の映画を見に行く場合って、こちら側にもある程度の覚悟があるじゃないですか。


万が一趣味の合わない映画だったら最初から最後まで退屈するだけかもしれない


これが単館で映画見る場合の観客の心構えですよ。ジャンルはなんであれ、とにかく大勢の人が見るような作品ではないから、単館で公開されるわけでしょ。観客の方もある程度それを心得ていれば大概は自分の好みに合う作品を上手くチョイスして見るわけで、たまさかハズレを掴んだとしてもそれは自分の方に見る目がなかったということで納得しちゃったりして。


だから単館での鑑賞時に予告編上映で「西の魔女が死んだ」を見た時はちゃんと思ったんですよ。

「あ、これは私の見る映画ではない」って。

自分のカンをちゃんと信じておけばよかったです。


単館系公開だったら絶対見なかったはずの作品を何故見たか。

その理由は近場のシネコンで上映があったから。


シネコンでやるんだったら、自分が考えていたよりは一般大衆向けの作りになっているはずだから、案外安心して見られるのかな?

つい、そう思っちゃった。


「燃えよ! ピンポン」とか「シューテム・アップ」とか、これまでだったら間違いなく単館系でしか公開されなかったような作品も最近では一部のシネコンでかかるようになってきてて、この二作は特に私の好みにピッタリフィットだったりしたものだから(両方とも興行的にはコケてるはずだけど)、その延長で考えて

「西の魔女」もいけるかな~と思ったのが大間違いだったわけで。



日本では単館系でも、「燃えよ! ピンポン」も「シューテム・アップ」もハリウッドでは一応鳴り物入りの作品だったことを忘れちゃいけなかったです。両作品ともエンターテインメントとしてのセオリーをきっちり押さえ、一見ハチャメチャに思える展開でも最後にはちゃあんとカタルシスが用意されてましたよ。



この、作品を見た後で

「あー、おもしろかった♪」

というための必需品(?)であるカタルシス、それが「西の魔女~」にはないんですね。いや、あのラストを見て死んだおばあちゃんを思い出して泣いた人もきっとたくさんいる事でしょうが、それは個人の思い出や思い入れがそうさせたもので映画自体が与えてくれるカタルシスとはちょっと違うと思うんですよ。少なくとも普遍性はない。



そんな普遍性のない映画をシネコンでかけるな、と言いたいですね。

作家個人の強い思い入れが強く現れている作品はやはり単館で見るべきものでしょう。そういう作品は、映画の方が見る人を選ぶものですから。



「西の魔女」は私を選ばないし、私もこの作品を選ばない。


単館拡大公開されたばかりに不幸な出会い方をしてしまったのが残念です。

見なけりゃ文句も言わずにすんだんだからさー。




(テレビ放送につき2008年7月2日の記事 を再録)