さほど乗り気のしないまま見に行った作品が思い掛けなく面白いと人間感動しますね。
「ムウ」の場合は特に同じ東京を舞台にした作品である「レインフォール」に失望したあとだったこともあり少々斜めに構えて見に行ったもので、「すいません、私が間違ってました」と後から謝りたくなりました。
あとからね。
私この映画にはどうしても許せない点があって、それは映画の冒頭のエピソードで沢木という刑事がタイのバンコク(だと思う)で犯人を追跡する時にとった態度。
幾ら犯人を追うのに必死になってるからって、道行く人々をものも言わずに突き飛ばし、屋台をひっくり返し、人様の車を警察手帳は見せたかもしれないにしろ強奪し、あまつさえ威嚇射撃なしに前方に人がいるにも関わらす発砲するとは非常識にも程がある。しかも言葉が通じないとはいえ、謝りもしない。追跡に失敗したと分かった時にはその場で事態の収拾に努めるのかと思ったらそれもなし。てめえ
タイの人達に膝をついて謝れよ!
これは沢木を演じている石橋凌さんが悪いわけではなく、そんなシーンを演じさせた監督か或いはそんな脚本書いた脚本家が悪いんですが、それにしてもむかつきましたわ。
このシークエンスは日本では撮影できないカーチェイスシーンを映画に盛り込むために無理矢理くっつけたと思うんですが、さ~すがに日本の刑事がタイにでばってエラそうに捜査に参加するという設定には無理があるっしょ。っていうか、タイで日本人男性はあんなもんだという認識があるんだとしたら、その方がよっぽど情けないですわ。傍若無人で無礼でタイを蹂躙して歩くのが普通の日本人男性だなんてね。これが刑事という設定なんだから情けないじゃないですか。
この映画の脚本、悪くはないんだけど、こういう肝心の所でボロボロ穴だらけなのがちょっと気になりましたね。いっちばん重要な部分はセリフでさらっと語って誤魔化してる部分もあったしね。
佐藤健君が出ていたTVドラマの方の「ムウ」では下敷きにしていたのは「ソウ」とか「ハンニバル」のシリーズのようでしたが、映画版はまんま「ボーン」シリーズ。バンコクの群衆の中を縫って逃げる犯人とそれを追う刑事の姿は「アルティメイタム」のタンジールでのボーンとデッシュの引き写しのようでした。彼らは互いに命がかかっているので多少乱暴な事や法に反する事をしたとしても観客の目からは許せるんですけどね、刑事がそれやったらダメでしょうよ。しかも指名手配の犯人じゃなくてその時点では被疑者というか、怪しいだけの人物を追ってるにすぎないのにさ!
ということがあったもんで、最初の30分ばかりは非常にムカつきながら映画を見ていたんですが、日本に舞台が映ってからは無理矢理感が少なくなったせいか(決して0になったわけではない)作品に集中して見られるようになり、そうするとどんどんどんどんおもしろくなってそのまま最後まで退屈することなく進んでいきました。
これはですね、日本映画だと大変珍しい事なのですよ。
というのも日本の映画界には金やらしがらみやら義理やら人情やら恩やらねぎらいやら素人にはわけのわからない諸「事情」がいっぱいくっついていて、変な所で無関係な人の大写しが無意味に長くあったり、脇役が不必要に思い入れを込めてみたりといった、本筋とは関係のないシーンがぽこんとはめこまれて話の進行が一瞬止まることが多いのですよね。
それは短いシーンであっても遅滞には変わりなく、そこでどうしても映画の集中が途切れてしまうのですわ。日本映画ってのはそういう「諸事情に気を配らなくてはいけないシーン」がつきものだったんですよ。
今までは。
「MW -ムウ-」 にはそれがなかった。
あったかもしれないにしろ、少なくとも私はそれは感じなかった。
これは大きいです。
今までの日本映画とは一線を画すだけの大きな違いです。
その一点だけで、私はすごく感じ入ってしまいましたね。
まあ今までにもそういう作品はなかったわけじゃないですが、どっちかというと社会派というのか、こういうマンガを原作として作られたようなエンターテインメント系にはなかったんじゃないかな。
マンガ原作というジャンルがあったとしたら「ムウ」はその中でもズバ抜けて完成度の高い、無駄も不必要な遊びも省いた、ハリウッド的なテイストに近い作品に仕上がっていたと思います。全邦画の中でもね。
しつこいようですが、脚本は案外穴だらけなんですよ、これ。
しかしそれを感じさせず、観客を退屈させない要因の一つに音楽の使い方の上手さが数えられると思います。
これまで邦画のサントラというと、アクションシーンにはこのメロディー、感動シーンにはこのメロディーと判で押したような使い方がされてたもんなんですよ。「ルーキーズ」なんて「泣き」のシーンに入るのは全部同じメロディーだもんね、あたしゃパブロフの犬じゃないからメロディー聞いただけじゃ泣かないんだっつの!
ところが「ムウ」はそうじゃなかったんで、これもちょっとびっくりだったんですよ。それこそまるで「ボーン」のように観客を耳で退屈させないサントラがず~っとかかってました。ちょっとばかりやり過ぎのきらいもなきにしもあらずですが、それでも条件反射的な音楽の使い方に比べればずっと効果的です。実は宮崎アニメにおける音楽の使い方がそうなんですが、これまで音楽にそこまでこだわる邦画って予算の関係もあって他にはほとんどなかったんですよね。
その内飽きる部分が来るだろうと思いながら聞いていた「ムウ」のサントラで、最後まで飽きることのなかった時のこの感激!!
これはほんと、邦画もここまできたかという感慨に浸った瞬間でした。
それからキャスティングも見事でした。
実は私、玉木宏って今まで全然好きじゃなかったんですよ。
というのも、私の目には彼は「悪人顔」に映るのに、彼が演じる役って今まで普通の二枚目だったでしょ。なんかこう、見ていて違和感というか物足りないというか……。
でも「ムウ」の結城美智雄ってバリッバリの悪人じゃないですか。
玉木宏ってこういう役を演じてこそ似合う顔だちなんですよ。
これぞ彼にとって最高のキャスティングで、クールな顔に酷薄な笑みを浮かべて他人を見下す顔が最高に美しかったですね! しかも肉体的には苦痛を抱え込んでいて、精神的な苦悩も会わせて悶え苦しむシーンつき! 思わず日本のヴィゴ・モーテンセンの称号(称号ですから!)を贈ってしまいそうでした。
で、カメラもそんな彼の美しさを余すところなくおさめてましたね!
この映画では、顔そのものよりも玉木宏の身体の美しさに惚れ惚れしましたよ、私は。とにかくどのアングルから撮っても美しいのには舌を巻きました。
おかげで山田孝之君が普通に見えちゃってえ~。彼は昔から好きだったのに、全然目に入ってきませんでしたよ。
もっとも山田君の場合は、賀来裕太郎が最高に美しく見えるその一瞬のために、他のシーンはあえてダサダサに撮っていたような気もしないではありません。玉木君と山田君の両方が美しかったらたぶん映画を見ている観客の焦点もぶれるでしょうから、この作品の中では山田君はむさ苦しい姿でいることが必要だったのかもしれません。
この監督が佐藤健君を撮った時もそうなんですが、観客におもねることなく俳優の真の美しさを引き出してるんですよね。いわゆる「サービスカット」と呼ばれるようなウケ狙いのシーンを撮るのではなく、俳優本人の人間としての美しさを写し取る。そんな感じです。
というわけで結果的には大満足できた「MW -ムウ-」でした。
でも最後にやっぱり一言。
タイの人に謝れ!
こればっかりは譲れません。
ああ、これだから日本の男は嫌われるのよ! 恥ずかしいったら!!