ブログネタ:自分が2人いたら、もう1人の自分には何をやらせる?
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自分と自分に瓜二つの二人だけだったらドッペルゲンガーの伝説の如く、はたまたポーの「ウィリアム・ウィルソン」が示唆する如く、どっちかが死ぬってゆーか互いに互いを殺し合うのが関の山だと思うけれど、これが10人ぐらいだったら話は違ってきますよね。
二人だと自己主張がダイレクトにぶつかり合うけれど、ヒトケタ違って10人ともなれば自己主張するだけバカらしくなると思うのよ。だって、回り中みんな自分で、それぞれが何を考えてるのか一目瞭然で分かるんだから。
って事は、10人の自分でできる共同作業をするのが一番でしょう。
で、私だったら10人の自分をメインスタッフにして映画を撮るわ。
脚本も監督も撮影も編集も美術も音楽も音響も特撮もキャスティングもプロデュースも全部自分10人でできるなら、こんな幸せな現場はないと思う! アカデミー賞も俳優部門以外は一人占めね、おほほほほっ!
って、一番重要な俳優がいなかったらどうしようもないじゃないのさ!
そりゃあ私が10人もいるんだから、その時手の空いてるスタッフの私が女優の役を務めればいいわけだけど(シーンごとに出てる私が違ったところで所詮同じ私だし)、でも出てる女優がみんな同じ顔だったら観客の方がうんざりするわよね、間違いなく。それにキャスティングディレクターや監督の私が女優の私を主演に起用するなんてまずあり得ないし。
残念ながら私はクリント・イーストウッドや竹中直人のように自分の監督する映画に自分を出演させるだけの力量は持ち合わせていないのです、よよよよよ。
特に竹中直人は「山形スクリーム」の中で俳優としても二役演じてますからね。あれはスゴイ。
で、さらにスゴイのは主役の三太郎を演じたAKIRAさんを自分(竹中直人)そっくりに仕立て上げてましたからね。あたしゃ見ていて区別がつかなくなって困りました。いえ、体型とかお肌の若さとか見れば違う人間だというのは一目瞭然なんですが、それにもかかわらずAKIRAの作る表情が竹中直人そのままなもんで別人だとはとても思えなくて。
何を隠そう、「山形スクリーム」の中で「竹中直人」じゃないのは、成海璃子ちゃん&彼女の友達の女子高生達及び沢村一樹の落ち武者だけでした。あとは全員、女子高生引率の女教師のマイコさんに至るまで「竹中直人」に憑依されてました。憑依された村人がゾンビになるのもむべなるかな。
きっとね、監督の「竹中直人」が演技をつける時、俳優「竹中直人」になりきってたのを、男優さんも女優さんもそっくりそのまま真似したんでしょうね。みなさんえらいです。でもそのせいで「山形スクリーム」はどこを切っても竹中直人の出てくる金太郎飴みたいになっちゃいました。おもしろいからいいんですけどね。映画が好きで好きでたまらない監督の愛が満ちあふれているから、いわば「山形愛スクリーム」。
竹中直人が二人いたら、きっと全然争うことなく監督と俳優に分かれて楽しく映画を撮ることでしょう。そういう人はちょっと羨ましいかも。