5年前、参加していたコーラスグループで「金もくせい匂えど」を練習していた(こんな曲)。

北海道出身の私には金木犀の香りに対する郷愁はない。雪の降る北海道の庭にキンモクセイはないからだ。
だからこの歌の歌詞のように「金木犀の香りに誘われふと昔を思い出し、時の流れに思いをはせる」といった経験も皆無である。

従ってせっかくの美しい歌詞も感情をこめることができず、歌いっぱなしのやっつけ仕事みたいなものだった。

私だって金木犀に思い出がないわけではない。
トイレの芳香剤の「キンモクセイ」でしか知らなかった匂いを、本物のオレンジ色の花からたちのぼる強い芳香として感じ取った時は本当に感動したものだった。自然の香りは馥郁としていて、カタカナで「キンモクセイ」と表記される匂いとは似て非なるものである。

ただ、あちらこちら引っ越して回っていたから、毎年同じ場所で花開き香りをふりまく金木犀の姿に触れるということはなかったのだ。5年間同じ所に住み続けたという経験がその時にはまだなかったのである。

でも今あれから5年たっても、私はまだ同じ場所に住んでいて、同じコーラスグループに所属している。
毎年秋になると香り立つ金木犀もご近所の庭にあって、雨の後に金色の花の絨毯が敷き詰められた上を歩くのを心密かな楽しみにしていたりもする。

こんなに長いこと一つの場所に住んだことはなかった。
毎年の季節が同じように変わる経験を5年以上続け、同じ季節が巡ってくるのにそこにいる人は違う(コーラスのメンバーでやめていく人がたくさんいる)という経験も積んだ。

――今までは、私自身が「もうそこにはいない人」だったのに。

今「金もくせい匂えど」をもう一度歌えば、きっと5年前とは違った表現ができるだろう。

5年もあれば、人は少しは成長するのかもしれない。木々の成長には遠く及ばなくても。



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