毎年夏になるとNHK等で特集がある。
広島・長崎に落とされた原爆によって被爆者となった人々の話も痛ましいが、しかし私がつい涙をこぼしてしまうのは常に沖縄戦を経験して生き残った島民の方々の語る言葉にである。
満州からの引き揚げの方々の話や第二次大戦下のアメリカで収容所に入れられた人々の話とも共通するその私の涙を誘う部分は、彼らが国に棄てられたという点だろう。
満州に移住していた人々は彼らを守るはずの関東軍の方が先に逃げ出したため、日本に帰国する途上で数々の苦難にあった。
それでも彼らの話の中には「残留孤児」に代表されるように中国の人達の優しさや思いやりを感じ取れる部分が含まれている。
日系人収容所については、その体験が日本で語られるのを聞く機会は少ない。しかしアメリカで生まれ育った日系二世の彼らが外見から「ジャップ」と判断され一方的に収容所に入れられた時、彼らが信じていた祖国、アメリカに裏切られたと感じたはずだ。日本を捨ててまで渡った自由の国アメリカで、市民権もあるのに、アメリカは彼らの忠誠心を信じなかったのだ。
沖縄の人達は――元は琉球王国の民人だった。法律上日本の一部となってから沖縄戦まで百年もたっていない。彼らはアメリカに進んで渡った移民とは違い、外交や政治で取り決められて「日本人」になったのである。
私は沖縄に生まれ育ったわけではないから、沖縄に昔から暮らす人々が「ヤマトンチュ」に対してどのような思いを抱いているのかはわからない。一般的な見解としては、征服された側が征服者に対して抱くのはレジスタンスや独立への強い願いだが、穏やかで争いごとを好かない沖縄の人達が具体的に何を感じていたのかは計り知れない。或いは時代の流れとして、強い勢力についておいた方が得策という見解もあったかもしれない。それは当事者でなければ分からない。
それでも沖縄戦の時に沖縄の人々が真剣に戦ったであろうことは推測できる。
収容所に入れられた日系アメリカ人が、自分がアメリカ人であることを立証し自分達の価値をアメリカの為政者達に認めさせるために従軍して勇猛果敢に戦ったのと同様、沖縄の人々も自分達の尊厳と誇りのため日本人以上に日本軍のために戦ったのだろう。
そういう沖縄の人々を、日本軍は捨て石にしたのだ。
関東軍のようにただ棄てたのではなく、捨て石として使った。
沖縄の人達を矢面に立て、本土決戦を防ぐための防波堤にし、降伏せずに自決せよと命じた。
だから私は、満州よりも日系人収容所よりも、沖縄戦が一番悲惨だと思うのだ。
体験そのものとしては原爆の方がより悲惨かもしれない。
何の罪もないのに原爆を落とされて命を失い、放射能の後遺症で今も苦しむ人達の話も長く伝えていかねばならないと思う。
だが、原爆の被害者達は声を大にして己の苦しみをうったえられるが、沖縄の人達は戦後アメリカに占領されたためにそれすら思うようにできなかったのではないだろうか。
それに激しい地上戦が繰り広げられる中、戦闘の渦中や自決のために誰かをその手で殺した人や、助けられたかもしれない人を見殺しにせざるを得なかった人も少なからず存在する。そういった罪の意識を感じている人達の心の傷は、一体どれだけ深いのだろう。
私が涙をこぼすのは、胸の奥に隠してあるその深い深い傷跡を、かさぶたをはがし、さらに抉るようにして体験として語られた時の言葉にである。それを口にする時、その人は再び傷を受けた時の激しい苦しみを感じていることだろうに。
でも、体験として話してくれる人の数は年々減っている。
私達はそれを聞かねばならない。
聞いて次の世代に伝えなければならないのだ。
人間とは、追い込まれるとかくも愚かな行為をするものだと。
悪いのは追い込まれた方ではなく、そこに追い込んだ側なのだと。
いずれ語り部は失われる。
時の流れに逆らうことはできないから。
だからその言葉は本にして歌にして残さなければならない。
「さとうきび畑」を初めて聞いた時のショックは今も忘れられない。
私が沖縄戦の事を知ったのは、まさにこの歌が初めてだったから。
激しい悲しみの歌詞に、明るく美しく平坦とさえ言える静かなメロディ。
これが、沖縄の人のやり方、生き方、美学なのだと思った。
もっとショックだったのは「島唄」をコーラスで歌った時のこと。
それまで聞き流すだけで恋の歌かと思っていたこの曲の歌詞の本当の意味を知った時。
これは沖縄戦を歌った曲だったのだ。「千代にさよなら」はまさしく今生の別れの意味だった。
沖縄の音階はどんな意味の歌詞でも明るめの曲調にしてしまう。
そこに深く暗く切ない感情をこめて歌うのは至難の業である。
それでもこの2曲はこれからも歌い継がれていくだろう。
深い意味など分からなくても、実際に声に出して歌うことで曲の心は自分の心に流れ込んでくる。少しずつではあるが。
いつかこの2曲を歌いながら自然に涙が流れた時、その時私は少しだけ沖縄の人々の気持ちに触れることができるのだろうか。
大好きな沖縄。
悲しみを押し隠す美しい旋律をいつまでも聞かせておくれ。
【緊急募集!】 沖縄に対する熱い想いやメッセージをお寄せください。 ←参加中
広島・長崎に落とされた原爆によって被爆者となった人々の話も痛ましいが、しかし私がつい涙をこぼしてしまうのは常に沖縄戦を経験して生き残った島民の方々の語る言葉にである。
満州からの引き揚げの方々の話や第二次大戦下のアメリカで収容所に入れられた人々の話とも共通するその私の涙を誘う部分は、彼らが国に棄てられたという点だろう。
満州に移住していた人々は彼らを守るはずの関東軍の方が先に逃げ出したため、日本に帰国する途上で数々の苦難にあった。
それでも彼らの話の中には「残留孤児」に代表されるように中国の人達の優しさや思いやりを感じ取れる部分が含まれている。
日系人収容所については、その体験が日本で語られるのを聞く機会は少ない。しかしアメリカで生まれ育った日系二世の彼らが外見から「ジャップ」と判断され一方的に収容所に入れられた時、彼らが信じていた祖国、アメリカに裏切られたと感じたはずだ。日本を捨ててまで渡った自由の国アメリカで、市民権もあるのに、アメリカは彼らの忠誠心を信じなかったのだ。
沖縄の人達は――元は琉球王国の民人だった。法律上日本の一部となってから沖縄戦まで百年もたっていない。彼らはアメリカに進んで渡った移民とは違い、外交や政治で取り決められて「日本人」になったのである。
私は沖縄に生まれ育ったわけではないから、沖縄に昔から暮らす人々が「ヤマトンチュ」に対してどのような思いを抱いているのかはわからない。一般的な見解としては、征服された側が征服者に対して抱くのはレジスタンスや独立への強い願いだが、穏やかで争いごとを好かない沖縄の人達が具体的に何を感じていたのかは計り知れない。或いは時代の流れとして、強い勢力についておいた方が得策という見解もあったかもしれない。それは当事者でなければ分からない。
それでも沖縄戦の時に沖縄の人々が真剣に戦ったであろうことは推測できる。
収容所に入れられた日系アメリカ人が、自分がアメリカ人であることを立証し自分達の価値をアメリカの為政者達に認めさせるために従軍して勇猛果敢に戦ったのと同様、沖縄の人々も自分達の尊厳と誇りのため日本人以上に日本軍のために戦ったのだろう。
そういう沖縄の人々を、日本軍は捨て石にしたのだ。
関東軍のようにただ棄てたのではなく、捨て石として使った。
沖縄の人達を矢面に立て、本土決戦を防ぐための防波堤にし、降伏せずに自決せよと命じた。
だから私は、満州よりも日系人収容所よりも、沖縄戦が一番悲惨だと思うのだ。
体験そのものとしては原爆の方がより悲惨かもしれない。
何の罪もないのに原爆を落とされて命を失い、放射能の後遺症で今も苦しむ人達の話も長く伝えていかねばならないと思う。
だが、原爆の被害者達は声を大にして己の苦しみをうったえられるが、沖縄の人達は戦後アメリカに占領されたためにそれすら思うようにできなかったのではないだろうか。
それに激しい地上戦が繰り広げられる中、戦闘の渦中や自決のために誰かをその手で殺した人や、助けられたかもしれない人を見殺しにせざるを得なかった人も少なからず存在する。そういった罪の意識を感じている人達の心の傷は、一体どれだけ深いのだろう。
私が涙をこぼすのは、胸の奥に隠してあるその深い深い傷跡を、かさぶたをはがし、さらに抉るようにして体験として語られた時の言葉にである。それを口にする時、その人は再び傷を受けた時の激しい苦しみを感じていることだろうに。
でも、体験として話してくれる人の数は年々減っている。
私達はそれを聞かねばならない。
聞いて次の世代に伝えなければならないのだ。
人間とは、追い込まれるとかくも愚かな行為をするものだと。
悪いのは追い込まれた方ではなく、そこに追い込んだ側なのだと。
いずれ語り部は失われる。
時の流れに逆らうことはできないから。
だからその言葉は本にして歌にして残さなければならない。
「さとうきび畑」を初めて聞いた時のショックは今も忘れられない。
私が沖縄戦の事を知ったのは、まさにこの歌が初めてだったから。
激しい悲しみの歌詞に、明るく美しく平坦とさえ言える静かなメロディ。
これが、沖縄の人のやり方、生き方、美学なのだと思った。
もっとショックだったのは「島唄」をコーラスで歌った時のこと。
それまで聞き流すだけで恋の歌かと思っていたこの曲の歌詞の本当の意味を知った時。
これは沖縄戦を歌った曲だったのだ。「千代にさよなら」はまさしく今生の別れの意味だった。
沖縄の音階はどんな意味の歌詞でも明るめの曲調にしてしまう。
そこに深く暗く切ない感情をこめて歌うのは至難の業である。
それでもこの2曲はこれからも歌い継がれていくだろう。
深い意味など分からなくても、実際に声に出して歌うことで曲の心は自分の心に流れ込んでくる。少しずつではあるが。
いつかこの2曲を歌いながら自然に涙が流れた時、その時私は少しだけ沖縄の人々の気持ちに触れることができるのだろうか。
大好きな沖縄。
悲しみを押し隠す美しい旋律をいつまでも聞かせておくれ。
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