「サロゲート」公式サイト
これはアメリカでの興行成績がぱっとしなかったのでさほど期待しないで見にいったのですが、どうしてどうして、緻密に構成されたおもしろい正統派SF映画でした。SFというにはあまりにも現実に近すぎるのかもしれないけれど。
見どころが「CG処理により金髪ふさふさでかつ若返ったブルース・ウィリス」なんて言われてるのがまずいのかもしれませんが、ブルース・ウィリスは若返ってるサロゲート(一種のロボット)の方でも、生身でちょっぴり太めで髭まみれのダサい姿でも、ヤッパリダイ・ハードマンでございましたよ。彼にはこういう不撓不屈の役が似合います。
話は全然変わりますが、先日試写会で「ラブリーボーン」を見た時に登場人物の一人がまるで「出来の悪いブルース・ウィリス」みたいに見えたものですが、「サロゲート」で見るとその「出来の悪いブルース・ウィリス」は彼のサロゲートの方に似ていて、ブルース本人は髭が生えてるとむしろジョン・マルコヴィッチに似て見えましたわ。もう、誰が誰やら。
サロゲート達は脳波による遠隔操作によって動かされるのですが、これは「アバター」でもアバターを動かすのに使われていて、現実でもどんどん開発が進んでいる技術です。「サロゲート」や「アバター」では脳を含めた人体は別の所に温存しておいて、身代わりであるサロゲートやアバター達は脳波による信号を離れた場所でキャッチして動くわけですね。
これが押井守がアニメ化した「攻殻機動隊」あたりだと、脳や神経が義体に直接つながって動かしているという設定ですからちょっと違います。こちらは下手すると人体がそれこそ脳と神経しか残ってなかったりしますが、「サロゲート」や「アバター」だと人体は安全な所に保管されていて、サロゲート(ロボットの方ね)が損傷を受けたとしても安全装置が働いて操作している人間には害は及ばないという事になっていますから。
こういう、操作している人間は安全なまま身代わりを操作して遊ぶという世界観は、実は「ピグ」とか「セカンドライフ」等ですでに身近に存在するものです。
「サロゲート」ではサロゲート達はみな美男美女ですが、何を隠そう「ピグ」ワールドもそうなのですよ。主として日本人が遊ぶ2等身キャラですから美男美女というよりは「可愛い」系になりますが。
私の場合、最初は自分に似せてピグを作ったんですが、可愛くないせいかグッピグをあんまり貰えなかったのですぐに美女顔に直してしまいました。するとやっぱりグッピグを貰うのが早くなりましたね。最初の頃だったので、わりとみんな様子を見ながらグッピグしてましたし、実際自分でも可愛い顔のピグには進んでグッピグつけてましたから。
私の友達も最初は自分に似せてたピグを可愛い系にお直ししてからピグライフを満喫するようになりましたもんね。
やっぱりピグであっても見た目の顔の印象は大きくて、肌や髪の色は千差万別でも目が大きくてぱっちりしていて口元が笑っているようなのが好まれるようです。「普通」だったり「地味」な印象だったりするよりは、いっそ「変な顔」のピグの方が目をひいたりもします。
「サロゲート」になると美男美女偏重がさらに顕著になってました。彼らはサロゲートを使って日常生活や仕事もこなすわけですから、ウケ狙いの「変な顔」というのも淘汰されるんでしょうね。サロゲートで理想を実現できれば人類社会から人種や性別に起因する無駄な差別意識もなくなるという考えは分からないでもありません。
まあ、人間から差別意識がなくなるというのは今から10年20年の未来じゃ不可能だと思いますが、90分ぐらいの映画でそこまで言っても仕方ないので。
実は映画の中ではサロゲートを持つ者と持たざる者との間の確執という形でちゃんと表現されてはいました。持たない側の言い分は人間らしい生き方を選ぶというものでしたが、その暮らしぶりを見ていると単に金銭的な問題でサロゲートが買えないだけなんじゃないかという気がします。それはさりげなく現代の格差社会が行き着く先を示唆しているようでもありました。
結局のところ、「サロゲート」って近未来SFのはずなのに設定が実は現実そのものというのが受けなかった理由なのではないでしょうか。
事件が起こってそれを解決すべくブルース・ウィリスが奔走するのを見ながら、でも彼の背景にある社会の中にほんのちょっと未来の自分の姿を見ているような、そんな感じなのです。せっかく現実離れしてSF映画を選んで見ているはずなのにのに、それだと全然楽しくないでしょ。
ストーリーとしてはおもしろく、映像も迫力あってCGIも万全、アクションは言うことなしなのですが、でも何故か心は弾まない。それどころか憂慮してしまう。それではヒットにつながらなくても無理はないと思います。
「アバター」はね、話としては「サロゲート」よりもずっと悲惨なはずなのに、それでも夢を見せてくれる。監督のビジョンの違いでしょうか。比べてみるのも一興かもしれません。本当によくできてておもしろい映画なんですよ、「サロゲート」。ただ、夢から覚めて現実を見せつけられるのがちょっとばかり心に痛いのです。
これはアメリカでの興行成績がぱっとしなかったのでさほど期待しないで見にいったのですが、どうしてどうして、緻密に構成されたおもしろい正統派SF映画でした。SFというにはあまりにも現実に近すぎるのかもしれないけれど。
見どころが「CG処理により金髪ふさふさでかつ若返ったブルース・ウィリス」なんて言われてるのがまずいのかもしれませんが、ブルース・ウィリスは若返ってるサロゲート(一種のロボット)の方でも、生身でちょっぴり太めで髭まみれのダサい姿でも、ヤッパリダイ・ハードマンでございましたよ。彼にはこういう不撓不屈の役が似合います。
話は全然変わりますが、先日試写会で「ラブリーボーン」を見た時に登場人物の一人がまるで「出来の悪いブルース・ウィリス」みたいに見えたものですが、「サロゲート」で見るとその「出来の悪いブルース・ウィリス」は彼のサロゲートの方に似ていて、ブルース本人は髭が生えてるとむしろジョン・マルコヴィッチに似て見えましたわ。もう、誰が誰やら。
サロゲート達は脳波による遠隔操作によって動かされるのですが、これは「アバター」でもアバターを動かすのに使われていて、現実でもどんどん開発が進んでいる技術です。「サロゲート」や「アバター」では脳を含めた人体は別の所に温存しておいて、身代わりであるサロゲートやアバター達は脳波による信号を離れた場所でキャッチして動くわけですね。
これが押井守がアニメ化した「攻殻機動隊」あたりだと、脳や神経が義体に直接つながって動かしているという設定ですからちょっと違います。こちらは下手すると人体がそれこそ脳と神経しか残ってなかったりしますが、「サロゲート」や「アバター」だと人体は安全な所に保管されていて、サロゲート(ロボットの方ね)が損傷を受けたとしても安全装置が働いて操作している人間には害は及ばないという事になっていますから。
こういう、操作している人間は安全なまま身代わりを操作して遊ぶという世界観は、実は「ピグ」とか「セカンドライフ」等ですでに身近に存在するものです。
「サロゲート」ではサロゲート達はみな美男美女ですが、何を隠そう「ピグ」ワールドもそうなのですよ。主として日本人が遊ぶ2等身キャラですから美男美女というよりは「可愛い」系になりますが。
私の場合、最初は自分に似せてピグを作ったんですが、可愛くないせいかグッピグをあんまり貰えなかったのですぐに美女顔に直してしまいました。するとやっぱりグッピグを貰うのが早くなりましたね。最初の頃だったので、わりとみんな様子を見ながらグッピグしてましたし、実際自分でも可愛い顔のピグには進んでグッピグつけてましたから。
私の友達も最初は自分に似せてたピグを可愛い系にお直ししてからピグライフを満喫するようになりましたもんね。
やっぱりピグであっても見た目の顔の印象は大きくて、肌や髪の色は千差万別でも目が大きくてぱっちりしていて口元が笑っているようなのが好まれるようです。「普通」だったり「地味」な印象だったりするよりは、いっそ「変な顔」のピグの方が目をひいたりもします。
「サロゲート」になると美男美女偏重がさらに顕著になってました。彼らはサロゲートを使って日常生活や仕事もこなすわけですから、ウケ狙いの「変な顔」というのも淘汰されるんでしょうね。サロゲートで理想を実現できれば人類社会から人種や性別に起因する無駄な差別意識もなくなるという考えは分からないでもありません。
まあ、人間から差別意識がなくなるというのは今から10年20年の未来じゃ不可能だと思いますが、90分ぐらいの映画でそこまで言っても仕方ないので。
実は映画の中ではサロゲートを持つ者と持たざる者との間の確執という形でちゃんと表現されてはいました。持たない側の言い分は人間らしい生き方を選ぶというものでしたが、その暮らしぶりを見ていると単に金銭的な問題でサロゲートが買えないだけなんじゃないかという気がします。それはさりげなく現代の格差社会が行き着く先を示唆しているようでもありました。
結局のところ、「サロゲート」って近未来SFのはずなのに設定が実は現実そのものというのが受けなかった理由なのではないでしょうか。
事件が起こってそれを解決すべくブルース・ウィリスが奔走するのを見ながら、でも彼の背景にある社会の中にほんのちょっと未来の自分の姿を見ているような、そんな感じなのです。せっかく現実離れしてSF映画を選んで見ているはずなのにのに、それだと全然楽しくないでしょ。
ストーリーとしてはおもしろく、映像も迫力あってCGIも万全、アクションは言うことなしなのですが、でも何故か心は弾まない。それどころか憂慮してしまう。それではヒットにつながらなくても無理はないと思います。
「アバター」はね、話としては「サロゲート」よりもずっと悲惨なはずなのに、それでも夢を見せてくれる。監督のビジョンの違いでしょうか。比べてみるのも一興かもしれません。本当によくできてておもしろい映画なんですよ、「サロゲート」。ただ、夢から覚めて現実を見せつけられるのがちょっとばかり心に痛いのです。