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)で当選した「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」が完成披露試写会だったことに改めて気づいたのは、会場に着いたらいい席のほとんどが「関係者用」に占められていて自分は座れないという事実を突きつけられた時でした。
カメラやマイクロフォンを手にしたマスコミの方々はたくさん取材に入ってるし、最前列には「ゼブラーマン」に合わせてゼブラなお洋服でキメたお嬢様方が麗しくお座りだし、これは大変な席に招待して貰えたものだと感激もひとしおでした。
舞台挨拶も登壇者の方々一同サービス精神旺盛で楽しませて頂きましたし、主役を務めた哀川翔さんも仲 里依紗さんも本当に満足した様子で受け答えしている事から撮影時の充実感や作品への自信がうかがえました。
さて、その作品である「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」ですが、これはSFなのですね。
何よりそのサブタイトルが「ゼブラシティの逆襲」であるあたり、「スターウォーズ」の第2作である「帝国の逆襲」への対抗心がメラメラと燃えているではありませんか!
そして本編、冒頭はまるまる現代。
そう、2010年が始まりなのですよ。
この2010年というのは前作「ゼブラーマン」でゼブラーマンが地球(主に日本の一都市の一部分)を救いヒーローになった年なのでございます。
「ゼブラーマン」公開は2004年ですから、当時は近未来だった世界が今や現実そのものになっているという、当然といえば当然なのですが、考えようによっては不条理きわまりない事態。いや、SFでございますね。2004年当時の2010年には思いもよらなかった現実が今ここには広がっているのですが(当時ツイッターなんかなかったはず)、そこはそれ、綺麗サッパリ無視してSFらしさをより際だたせるために舞台を一気に2025年へと飛躍させるのでございます。もうこの辺は脚本家の手腕というか豪腕というか、或いはプロデューサーのゴリ押しというか(言ってみただけです)。何しろ東映ですから、その辺はどうとでもなるのでございます。
2025年といえば15年も先ですから、時代はもう完全な未来。未来が舞台なんだから「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」はいやでもSF映画にならざるを得ないんです。
というわけでこの「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」、タイトルのみならず映像もSF映画のオマージュで充ち満ちております。監督、SF映画を撮るにあたって、有名どころからカルトまでたくさん見たんでしょうな(主として後者)。
一番分かりやすいのが、ガダルカナル・タカさん演じる知事のビジュアル。
これはもう、まんまスタンリー・キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」でマルコム・マクダウェルが演じた強烈な主役の最も印象に残るメイクと衣装ですな。タカさんがメイクすると何故かマルコムじゃなくてジュリーこと沢田研二さんに似てるのが不思議ですが。メイクさんの腕前、恐るべしっっ!
またこの映画には「ゼブラタイム」といって、朝夕5分間ずつゼブラシティが無法地帯に等しくなる時間帯が出てくるのですが、その際ゼブラシティが日本の他の地域から隔離されたような状況になるんですが、これがジョン・カーペンターの「エスケープ・フロム・LA」を彷彿とさせるんですね。なんて言うかその、無法地帯の中で一定の秩序が保たれている世界観というのが、すごく似ている。
で、その無法地帯の中の秩序というのは先刻のタカさんの知事が定めているわけですが、ゼブラタイムになるとこれがほとんど権力をたてにとった全体主義で、これは言ってみれば「リベリオン」の世界です。だからその「ゼブラシティ」という無法地帯の中で権力をふるう側にあるゼブラポリスの扮装が「リベリオン」のクラリックそっくりだとしてもうなずけるのでございます。ミニスカポリスの方はまた別ですけどね。
「リベリオン」には日本刀を使ったアクションシーンもあって、その影響かどうかは知りませんが「ゼブラシティの逆襲」にも日本刀を得物に使うキャラが出てきてました。使われ方は「リベリオン」とは全然違って、こちら三池監督のテーマである「愛は暴力」の完全なる形として表現されてましたけどね。深読みすると大変おもしろいシークエンスでございました。よく考えると(よく考えなくても)この日本刀が最後に出てくるシーンって、その刀をその男性が使うのってほとんど不可能な状況なんですが(詳しい内容は本編を見てお確かめ下さい)。まあ、不可能を可能にするのも愛の力ということで、そこはそれということにしておきます。いや、考えようによってはそこがSFなのかも(ってゆーか超常現象だよ)。
さて話は知事に戻りますが(意外と出番が多かったガダルカナル・タカさん……)、この知事、元は防衛庁の職員だったのですが、その後あるできごとが切っ掛けで何故か途中でマッドサイエンティストに変貌した挙げ句、そこで得た力を元に権力の頂点につくのですね(本作では日本で一番偉いのは総理じゃなくて知事。いいの。SFなんだから)。
その辺のシチュエーションは「リベリオン」と同じカート・ウィマー監督の「ウルトラバイオレット」に似てました。残念ながらその後の展開は全然違うんですけどね。そうそう、マッドサイエンティスト化している時の知事にはちゃんとイゴール的な助手もついておりました。これは「フランケンシュタイン」的な映画には必ずと言っていい程出てくるお約束キャラでございます。意味があろーとなかろーと、出てくるだけで怪奇な気分を盛り上げてくれる貴重なキャラなのでございます。
他にもいろいろ「どこかで見たな」と思われるシーンはあって、ゼブラーマンが助けて貰う病院のような難民キャンプのような所、これはフィリップ・K・ディック原作でゲイリー・シニーズ主演で映画化された「クローン」がヒントでしょうか。もっともこの白い衣装に身を包んだ人々のイメージはもっと古い映画で見たような気もします(「ベン・ハー」かな?)。
ここまで「SF映画」していて、伏線もきちんと張っていて、それでいてこの「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」、最後の最後に落語になります。
その落としっぷりは無理を通り越していっそ潔いです。
いや、この話の落とし方はもはやSFと言っていいかも。
こんな「SF映画」は日本でなくては作れません!
日本ならではの究極のSF映画「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」、話の種として公開されたら是非足をお運び下さい。
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カメラやマイクロフォンを手にしたマスコミの方々はたくさん取材に入ってるし、最前列には「ゼブラーマン」に合わせてゼブラなお洋服でキメたお嬢様方が麗しくお座りだし、これは大変な席に招待して貰えたものだと感激もひとしおでした。
舞台挨拶も登壇者の方々一同サービス精神旺盛で楽しませて頂きましたし、主役を務めた哀川翔さんも仲 里依紗さんも本当に満足した様子で受け答えしている事から撮影時の充実感や作品への自信がうかがえました。
さて、その作品である「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」ですが、これはSFなのですね。
何よりそのサブタイトルが「ゼブラシティの逆襲」であるあたり、「スターウォーズ」の第2作である「帝国の逆襲」への対抗心がメラメラと燃えているではありませんか!
そして本編、冒頭はまるまる現代。
そう、2010年が始まりなのですよ。
この2010年というのは前作「ゼブラーマン」でゼブラーマンが地球(主に日本の一都市の一部分)を救いヒーローになった年なのでございます。
「ゼブラーマン」公開は2004年ですから、当時は近未来だった世界が今や現実そのものになっているという、当然といえば当然なのですが、考えようによっては不条理きわまりない事態。いや、SFでございますね。2004年当時の2010年には思いもよらなかった現実が今ここには広がっているのですが(当時ツイッターなんかなかったはず)、そこはそれ、綺麗サッパリ無視してSFらしさをより際だたせるために舞台を一気に2025年へと飛躍させるのでございます。もうこの辺は脚本家の手腕というか豪腕というか、或いはプロデューサーのゴリ押しというか(言ってみただけです)。何しろ東映ですから、その辺はどうとでもなるのでございます。
2025年といえば15年も先ですから、時代はもう完全な未来。未来が舞台なんだから「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」はいやでもSF映画にならざるを得ないんです。
というわけでこの「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」、タイトルのみならず映像もSF映画のオマージュで充ち満ちております。監督、SF映画を撮るにあたって、有名どころからカルトまでたくさん見たんでしょうな(主として後者)。
一番分かりやすいのが、ガダルカナル・タカさん演じる知事のビジュアル。
これはもう、まんまスタンリー・キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」でマルコム・マクダウェルが演じた強烈な主役の最も印象に残るメイクと衣装ですな。タカさんがメイクすると何故かマルコムじゃなくてジュリーこと沢田研二さんに似てるのが不思議ですが。メイクさんの腕前、恐るべしっっ!
またこの映画には「ゼブラタイム」といって、朝夕5分間ずつゼブラシティが無法地帯に等しくなる時間帯が出てくるのですが、その際ゼブラシティが日本の他の地域から隔離されたような状況になるんですが、これがジョン・カーペンターの「エスケープ・フロム・LA」を彷彿とさせるんですね。なんて言うかその、無法地帯の中で一定の秩序が保たれている世界観というのが、すごく似ている。
で、その無法地帯の中の秩序というのは先刻のタカさんの知事が定めているわけですが、ゼブラタイムになるとこれがほとんど権力をたてにとった全体主義で、これは言ってみれば「リベリオン」の世界です。だからその「ゼブラシティ」という無法地帯の中で権力をふるう側にあるゼブラポリスの扮装が「リベリオン」のクラリックそっくりだとしてもうなずけるのでございます。ミニスカポリスの方はまた別ですけどね。
「リベリオン」には日本刀を使ったアクションシーンもあって、その影響かどうかは知りませんが「ゼブラシティの逆襲」にも日本刀を得物に使うキャラが出てきてました。使われ方は「リベリオン」とは全然違って、こちら三池監督のテーマである「愛は暴力」の完全なる形として表現されてましたけどね。深読みすると大変おもしろいシークエンスでございました。よく考えると(よく考えなくても)この日本刀が最後に出てくるシーンって、その刀をその男性が使うのってほとんど不可能な状況なんですが(詳しい内容は本編を見てお確かめ下さい)。まあ、不可能を可能にするのも愛の力ということで、そこはそれということにしておきます。いや、考えようによってはそこがSFなのかも(ってゆーか超常現象だよ)。
さて話は知事に戻りますが(意外と出番が多かったガダルカナル・タカさん……)、この知事、元は防衛庁の職員だったのですが、その後あるできごとが切っ掛けで何故か途中でマッドサイエンティストに変貌した挙げ句、そこで得た力を元に権力の頂点につくのですね(本作では日本で一番偉いのは総理じゃなくて知事。いいの。SFなんだから)。
その辺のシチュエーションは「リベリオン」と同じカート・ウィマー監督の「ウルトラバイオレット」に似てました。残念ながらその後の展開は全然違うんですけどね。そうそう、マッドサイエンティスト化している時の知事にはちゃんとイゴール的な助手もついておりました。これは「フランケンシュタイン」的な映画には必ずと言っていい程出てくるお約束キャラでございます。意味があろーとなかろーと、出てくるだけで怪奇な気分を盛り上げてくれる貴重なキャラなのでございます。
他にもいろいろ「どこかで見たな」と思われるシーンはあって、ゼブラーマンが助けて貰う病院のような難民キャンプのような所、これはフィリップ・K・ディック原作でゲイリー・シニーズ主演で映画化された「クローン」がヒントでしょうか。もっともこの白い衣装に身を包んだ人々のイメージはもっと古い映画で見たような気もします(「ベン・ハー」かな?)。
ここまで「SF映画」していて、伏線もきちんと張っていて、それでいてこの「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」、最後の最後に落語になります。
その落としっぷりは無理を通り越していっそ潔いです。
いや、この話の落とし方はもはやSFと言っていいかも。
こんな「SF映画」は日本でなくては作れません!
日本ならではの究極のSF映画「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」、話の種として公開されたら是非足をお運び下さい。
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