「ソウ ザ・ファイナル 3D」 公式サイト
「ソウ」のシリーズも最近辟易気味で、もう見なくてもいいかな~と思いつつ(それで初日には行かなかった)、でもやっぱり見ようかな~、今日は映画サービスデーだから千円だし~とまんまと配給会社の策に乗せられて行って参りました。実際は3D料金が400円余分にかかって1400円でしたが。
案に相違して、この「ソウ 3D」、なかなか見やすい映画に仕上がっていたので、今胸をなで下ろしているところです。
あ、もちろんモノが「ソウ」なんですから当然残虐シーンは満載ですよ。どうぞその点はご心配なく♪(って、何の心配よ?)
ただ、今までとちょっと違うなと思ったのは、冒頭のシーン。
ここは「つかみ」ですからいきなり残虐なゲームから始まるのですが、それがね、公衆の面前なのですよ。ショーウィンドウの中なので外界からは隔絶されてはいるのですが、ガラスを通して中は全部見えています。そこに何事が始まるのかと通行人が群がってきて、一種の「観客」としてスクリーンに登場するのです。
これまでだとジグソウの仕掛けるゲームには「目撃者」と「傍観者」、それから「5」に関してのみ「覗き屋」がいるだけで、物語の上では「観衆」「観客」というのはいなかったんです。それも「目撃者」はジグソウ自身と彼の犯行仲間、それと罠にかけられた当事者達が兼ねる場合がほとんどでした。「傍観者」というのは罠を映像で見せられている人達で、これも当事者の場合が多かった。映像を見た後で死ぬハメになる人も半端な数じゃなかったと思います。
それが「3D」ではいきなり「観客」が登場してしまう。
これはもう、完全にジグソウ、或いは彼の追随者が仕掛ける罠が「見せ物」になってしまったということなんです。
「見せ物」ならば、恐くない。
だってそれはエンターテインメントとして作られたフィクションだから。
そういう認識が冒頭のショーウィンドウとそれを取り巻く群衆のシーンを見ている内に観客の心に芽生えちゃうんですよね。
その認識がクッションの役目を果たすので、その後3Dでどんなに凄惨な殺人現場を見せられても、観客が頭の中でそれを「現実」と思うことはないんですよ。少なくとも私はそうでした。
3D映画での人体破壊って、それはそれは派手なものなんです。私は「ファイナル・デッドサーキット3D」も劇場で見てますけれど、折角3D使ってるんだからとばかりに血や肉や内蔵や骨が華々しく全方向に飛び散ったりするわけですよ。それは現実であれば目を背けずにはいられない光景です。
でも、これ、映画だからさ。
人に見て貰ってナンボのもんですから、見る人が完全に目を背けてしまったら商売にならないでしょ?
だから3Dにおける人体破壊の残酷描写を心置きなく見て貰うための仕掛けが必要で、それが「ソウ 3D」では冒頭のシーンで「これはショーなんですよ」というワンクッションを観客の心に与えることにつながったんだと思います。
観客はその冒頭のシーンを見ながら、罠にかけられている当事者達ではなく彼らを見ている群衆=観客の方に感情移入をしてしまいます。映画の観客でありつつ、映画の中で繰り広げられている事態の推移をハラハラしながら見守る観衆の一員にもなるんですね。
一度この仕掛けが発動すると、どうやらその影響は映画を見ている間中続くらしく、その後の成り行きを見つつも決して罠に仕掛けられた当事者に感情移入したりせず、彼らの身に何が起こっても案外落ち着いて見ていることができるのですよ。派手にふっとばされた人体の一部が3Dでこちら(観客席)側に飛んできたとしても、最初に「これはショーである。見せ物である。ニセモノである」という認識ができてしまっているので、現実に物が飛んできた時のように身を引いたり手で払ったりという反射行動がほとんど起きなかったぐらいです。
まあ、私はこれで3D映画は結構見ているので慣れたのかもしれないですが。
また「ソウ 3D」はストーリーとしても非常に分かりやすい展開になっています。
「どうしてこの人がこんな目に……」とちょっとでも思うような理不尽な状況はほとんどなくて(全くないわけではない)、「うんうん、当然の報いよね」と思わせてくれる方向で話が進むので、見ていて心が苦しくなる部分がほとんどないんですよね。
冒頭ですでに出てきていますが、今回の分かりやすいテーマは「ショー」です。そのための然るべき準備をして、人に見せるために舞台にかけるものですね。
ジグソウは、映像で記録してそれを人に示すことはありましたが、彼は決して自分の罠を舞台上で人に見せるタイプではなかったです。彼の罠は常に他から隔絶された空間で当事者にのみ見えるように仕掛けられるもの。それを「ショー」にした時点で彼の後継者を標榜するものとジグソウとの接点は切れてしまう。シリーズとしての「ソウ」が終焉を迎えた事がこれでわかります。
その上で、「ファイナル」にふさわしい結末がちゃんと用意されておりました。
そりゃまあ、突っ込もうと思えば幾らでも突っ込みはできるのですが、「完結編はこうじゃなければ!」という美学にのっとったラストは映画ファンにはたまらないものです。
無理矢理だろうがご都合主義だろうが、「ファイナル」のラストはこうでなければなりません♪
というわけで、なかなかの出来映えに仕上がっていた「ソウ ザ・ファイナル 3D」、シリーズ途中の作品を見ていなくても案外楽しめるのではないかと思います。本編上映前に「ソウ集編」もあるしね♪
最初の「ソウ」をご覧になった方は是非最後の「ソウ」にも足を運んで下さいませ♪
「ソウ」のシリーズも最近辟易気味で、もう見なくてもいいかな~と思いつつ(それで初日には行かなかった)、でもやっぱり見ようかな~、今日は映画サービスデーだから千円だし~とまんまと配給会社の策に乗せられて行って参りました。実際は3D料金が400円余分にかかって1400円でしたが。
案に相違して、この「ソウ 3D」、なかなか見やすい映画に仕上がっていたので、今胸をなで下ろしているところです。
あ、もちろんモノが「ソウ」なんですから当然残虐シーンは満載ですよ。どうぞその点はご心配なく♪(って、何の心配よ?)
ただ、今までとちょっと違うなと思ったのは、冒頭のシーン。
ここは「つかみ」ですからいきなり残虐なゲームから始まるのですが、それがね、公衆の面前なのですよ。ショーウィンドウの中なので外界からは隔絶されてはいるのですが、ガラスを通して中は全部見えています。そこに何事が始まるのかと通行人が群がってきて、一種の「観客」としてスクリーンに登場するのです。
これまでだとジグソウの仕掛けるゲームには「目撃者」と「傍観者」、それから「5」に関してのみ「覗き屋」がいるだけで、物語の上では「観衆」「観客」というのはいなかったんです。それも「目撃者」はジグソウ自身と彼の犯行仲間、それと罠にかけられた当事者達が兼ねる場合がほとんどでした。「傍観者」というのは罠を映像で見せられている人達で、これも当事者の場合が多かった。映像を見た後で死ぬハメになる人も半端な数じゃなかったと思います。
それが「3D」ではいきなり「観客」が登場してしまう。
これはもう、完全にジグソウ、或いは彼の追随者が仕掛ける罠が「見せ物」になってしまったということなんです。
「見せ物」ならば、恐くない。
だってそれはエンターテインメントとして作られたフィクションだから。
そういう認識が冒頭のショーウィンドウとそれを取り巻く群衆のシーンを見ている内に観客の心に芽生えちゃうんですよね。
その認識がクッションの役目を果たすので、その後3Dでどんなに凄惨な殺人現場を見せられても、観客が頭の中でそれを「現実」と思うことはないんですよ。少なくとも私はそうでした。
3D映画での人体破壊って、それはそれは派手なものなんです。私は「ファイナル・デッドサーキット3D」も劇場で見てますけれど、折角3D使ってるんだからとばかりに血や肉や内蔵や骨が華々しく全方向に飛び散ったりするわけですよ。それは現実であれば目を背けずにはいられない光景です。
でも、これ、映画だからさ。
人に見て貰ってナンボのもんですから、見る人が完全に目を背けてしまったら商売にならないでしょ?
だから3Dにおける人体破壊の残酷描写を心置きなく見て貰うための仕掛けが必要で、それが「ソウ 3D」では冒頭のシーンで「これはショーなんですよ」というワンクッションを観客の心に与えることにつながったんだと思います。
観客はその冒頭のシーンを見ながら、罠にかけられている当事者達ではなく彼らを見ている群衆=観客の方に感情移入をしてしまいます。映画の観客でありつつ、映画の中で繰り広げられている事態の推移をハラハラしながら見守る観衆の一員にもなるんですね。
一度この仕掛けが発動すると、どうやらその影響は映画を見ている間中続くらしく、その後の成り行きを見つつも決して罠に仕掛けられた当事者に感情移入したりせず、彼らの身に何が起こっても案外落ち着いて見ていることができるのですよ。派手にふっとばされた人体の一部が3Dでこちら(観客席)側に飛んできたとしても、最初に「これはショーである。見せ物である。ニセモノである」という認識ができてしまっているので、現実に物が飛んできた時のように身を引いたり手で払ったりという反射行動がほとんど起きなかったぐらいです。
まあ、私はこれで3D映画は結構見ているので慣れたのかもしれないですが。
また「ソウ 3D」はストーリーとしても非常に分かりやすい展開になっています。
「どうしてこの人がこんな目に……」とちょっとでも思うような理不尽な状況はほとんどなくて(全くないわけではない)、「うんうん、当然の報いよね」と思わせてくれる方向で話が進むので、見ていて心が苦しくなる部分がほとんどないんですよね。
冒頭ですでに出てきていますが、今回の分かりやすいテーマは「ショー」です。そのための然るべき準備をして、人に見せるために舞台にかけるものですね。
ジグソウは、映像で記録してそれを人に示すことはありましたが、彼は決して自分の罠を舞台上で人に見せるタイプではなかったです。彼の罠は常に他から隔絶された空間で当事者にのみ見えるように仕掛けられるもの。それを「ショー」にした時点で彼の後継者を標榜するものとジグソウとの接点は切れてしまう。シリーズとしての「ソウ」が終焉を迎えた事がこれでわかります。
その上で、「ファイナル」にふさわしい結末がちゃんと用意されておりました。
そりゃまあ、突っ込もうと思えば幾らでも突っ込みはできるのですが、「完結編はこうじゃなければ!」という美学にのっとったラストは映画ファンにはたまらないものです。
無理矢理だろうがご都合主義だろうが、「ファイナル」のラストはこうでなければなりません♪
というわけで、なかなかの出来映えに仕上がっていた「ソウ ザ・ファイナル 3D」、シリーズ途中の作品を見ていなくても案外楽しめるのではないかと思います。本編上映前に「ソウ集編」もあるしね♪
最初の「ソウ」をご覧になった方は是非最後の「ソウ」にも足を運んで下さいませ♪