製作費わずか45ポンド! 天才監督が作った最高級のゾンビ映画!




ふと思う。
人はどうしてこんなにもゾンビ映画が好きなのかと。
それもどうやらゾンビの方に肩入れして。
醜く破壊された人体に、知性はおろか生命まで持たぬ彼らに。

でもたぶん、彼らは人間が行き着く究極の自由を体現してるのだ。

美醜といった外見上の差別からも、貧富といった経済上の格差からも、各種才能といった遺伝上の個体差からも、彼らは自由だ。彼らが人間を目にする時、そこにはただ「肉」しかない。その他の、人間に付随する全てのものは、ゾンビにとっては「無」。そこにあっても目に入らないものなのだ。

ゾンビの目を通し、我ら人類は真に平等な存在となるのである。ただの食うべき肉として。

ゾンビはまた、人の定めた法に支配されない。
何故ならすでに死んで人権を失っているから。
もっとも法がゾンビに人権を定めたところでゾンビの方は気にもとめず、あらゆる法を破るだろうが。

そしてまた、ゾンビは自然にさえ支配されない。
何故ならすでに死んでいるのに動き回っているのだから。
生命活動がないのに、あたかも生きているかの如く振る舞えるのなら、自然が定めた死など何程の意味があろうか。

ゾンビは人の定めた法も、自然界の法則も無視して勝手に動く。
神が命を与えたというなら、ゾンビは神さえも無視しうる究極の自由を手にしているのだ。
――ただし本人(本ゾンビ?)にはそんな事全く関係ないのだが。

ゾンビは死なない、知性もない(一般的に、なった直後は。長生き死にしている内に芽生える可能性はあるらしい)。

だから死への恐怖もない。
愛もなければ悲しみもない。

それは、いっそ、楽かもしれないと、思う時が、人にはある。

それなら、ゾンビも、いいかもしれないと、ふっと、逃げたくなる時が、私にもある。


生憎ゾンビは慢性的な飢えに悩まされるらしいので、死んでまでそんなダイエット最大の苦労を続けるような人生(ゾンビなら人死か?)はいやだと現実的な私は判断するけれど――


でも、心のどこかで、何もかも忘れ果て魂さえも失って地を彷徨い続けるゾンビと


今の私と


そんなに変わらんじゃないかと思ったりもする。


たいして変わらんのだったら


究極の自由を得たゾンビの方が


なんぼかマシなんじゃないのかと


思ったりもするのだ。


それだからきっとゾンビは根強い人気をもっていて、繰り返し繰り返し新しい作品が作られるのだろう。

そして私はまるで礼拝に行くかのように、それらのゾンビ映画に通ってしまうのだ。

ああ、不毛!