東北地方太平洋沖地震をうけて、今自分にできること ブログネタ:東北地方太平洋沖地震をうけて、今自分にできること 参加中
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震災からこっち、ずっとツイッターで情報を見つけてはブログに書くということをやってましたけど、気をつけてたのはデマ情報を流さないようにすることでした。

元々私がフォローしているソースはいわゆる「かたい」ところが多いので、そんなにそんなに変な情報は回ってこないんですけどね、でも当然、例の「火災により雨と共に汚染物質が降ってくるから注意」なんてツイートはたくさん見ていたわけですよ。でも、これ、リツィートしなかったです、私。

そこで踏みとどまった理由は簡単で、そんなに重大な事態なら確実にNHKのニュースや新聞系のツイートで発表があるはずで、それを待ってからでも遅くないだろうと思ったから。もしもその時雨が降ってたら私もリツィートしたかもしれませんが、その時点で「雨が降ったら化学物質汚染」というのは差し迫った危機じゃなかったんですよ。

そうこうする内にそれがデマだというツイートが瞬く間に広がって、その話はあっという間に収束しました。ことがことだけにね、こんな危険なウワサの火はさっさと消してしまわなければいけませんよね。この「雨で汚染物質」ネタは「ハレー彗星が接近したら地上から空気がなくなる」というデマと同じぐらいの危険度をはらんだデマだったと思います。誰もが信じる危険性があって、誰もが信じたらパニックがおきかねないから。

ところで私にもまんまとひっかかったデマがありまして、それは震災の混乱が続く中での「築地市場には食べ物があふれている、今買いに来なければ無駄になる」というもの。これはひょっとしたらリツィートしたかもしれない。デマとわかった時点でリツィートも全部消えてしまうから確認のしようがないんだけど、でもこれは「そうかあ~!」と完全に信じてしまいましたからね、私。ただ、リツィートしてないかもしれないと思うのは、結局そのツイートが真実であろうとなかろうと「築地にものがある」と信じた人が一斉に押し寄せたら、それはそれで築地市場がパニックになりかねないと思ったから。築地、行ったことありますので、勝手を知らない人が押しかけたらそれだけでも裁くのが大変だろうと思ったんですよね。
あと、その日は電車がまだきちんと運行してなかったので、築地まで行きたくても行けない人もたくさんいたので、そんな人にまで情報流しても意味ないだろうと思ったような気もします。
私自身行けない身の上でしたのでね、築地であふれてるものを独り占めしようとしたわけではないですよ。

でもこの件があって以来、リツィートにはますます気をつけるようになりました。

デマを見分ける方法として、「ソースが明らかじゃない」とか「内容が曖昧である」とかいろいろあると思うんですが、一番簡単なのは
「これ、誰かに教えたい!」と即座に思うような話は、我慢して誰にも伝えない、です。

だって、デマってそうなんですよ。
「わー、すごい話聞いちゃった。コレ、今すぐ誰かに言わなきゃ~」
と思わせるのがデマのデマたる所以、風に乗って飛んでいくように早いから風評ですもん。

1,自分には直接関係ないけど
2,他人に聞かせたらその人の役にはたつかもしれない
3,今すぐ誰かに教えよう!

何か情報を聞いて上記のような心理状態に陥ったら、それはすでにデマに躍らされている可能性大いにありです。そこで踏みとどまるのが重要です。

デマって、最初は「自分には直接関係ない」話の場合が多いんですよ。
直接関係ある話の場合は、デマなんて飛ばしてる余裕なく直接行動に走りますからね。今回の放射性物質うんぬんの時にあっという間にペットボトル入りの水が店頭から消えたようにね。

恐いのはデマを信じて大勢の人がそれを「自分に直接関係ある話」と思い込んだ時で、その時にパニックや暴動がおこるんです。これだけは何としても避けなくてはならない。人命に関わりますから。

デマというのは人に伝えたくなる話です。聞いた人の反応がね、驚いて貰えるとか、目を瞠って貰えるとか、とかくヴィヴィッドになりますからね。何となく相手の期待に応えた感があって、充実感を得られたりする。少なくともそれを話している間は相手は真剣に話を聞いてくれるわけだし。人間って、その程度のことで喜んで話しちゃうんですよ、内容が本当かどうか、脈絡が通ってるかどうかなんてのはワリとどうでもよくってね。

ツイッターでもそれは同じで、リツィートしながらそれを読む顔も知らない相手の驚いた顔が頭に浮かんでたりするわけです。そしてそれはささやかな満足感を生む。この情報が誰かの役にたったかもしれないと思って。

デマを自分のところで止めるというのは、だからそのささやかな満足感の放棄であったりします。

普通、人間ならば満足感を得たいと思って行動するものですから、満足感の放棄というのは一種の自己犠牲ともいえるかもしれません。そう考えて「デマを自分のところで止める」のは自己犠牲を伴う崇高な行為と思えば多少は気も晴れるというものです。誰だっておもしろい話は人に聞いて欲しいのに、それをぐっと我慢するわけですからね。

デマを広めないためには一人一人が話したい、或いはリツィートしたいという気持ちを我慢するという、崇高な自己犠牲が必要なのです。もしその話が本当にデマだった場合はツイッターなら今は比較的すぐに明らかになりますから、広めなかったことで達成感も得られますので、しばしの辛抱が報われる可能性は大です。

被災地で避難生活をおくってらっしゃる方々が一日も早く安全で快適な生活を取り戻すことができるよう祈ります。そのために私ができることなんて何もないですが、せめてデマの拡散を防ぐぐらいはやりたいです。

「この話 今すぐ誰かに 教えなきゃ
そう思ったら デマを疑え」

ま、そんなつもりで。


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