産経新聞より(以下一部抜粋)
>■18日からBSフジで再放送
「震災を経て、文明社会がある意味崩れたとき、何をよりどころにしたらいいのか。プリミティブ(原始的)な生活とは何か。改めて今、『北の国から』を見てもらいたい気持ちがあります」。脚本家、倉本聰(そう)(76)の代表作「北の国から」放映30年の今年、BSフジで18日、連続ドラマの再放送が始まる(毎週月曜午後10時)。文明に背を向け、東京から北海道・富良野に移住した黒板(くろいた)五郎。倉本が今、彼に託した思いを語った。(飯塚友子)
東日本大震災後、倉本の住む富良野麓郷(ろくごう)は、福島の子供を15人ほど受け入れた。市街地から車で30分かかる、人口約800人の過疎の集落。「本当に(黒板の子供の)純と蛍のような小学生です。子供たちはのびのび暮らしていますが、親の中にはこちらが用意した家に躊躇(ちゅうちょ)し、札幌に移った人もいますね」
第1話では、東京の優等生だった小学4年生の純が富良野に来て、五郎に「電気がなかったら暮らせませんよッ」と訴えるシーンがある。夜になったら眠る、ご飯は薪で炊く、テレビは置かない-。五郎は、便利さとは正反対の、水も電気もない暮らしが始まることを、息子に宣告する。
「でも彼らは原野で日々やることがあり、発見や楽しみがある。それは金のかからない、有意義な暮らしという気がします」
純の驚きは、昭和52年に富良野に移住した当初の倉本自身の驚きでもある。東京の便利な暮らしで汗をかかなくなったと不安を感じていた倉本は、富良野の人々と出会いショックを受けた。「土と自然を知る人に全くかなわない。彼らは知識でなく、知恵でたくましく素朴に生きていた。見るもの聞くもの新鮮で、都会の子供がこんな原始的な暮らしにほうり出されたら、何を思うか試したかった」
放映は日本がバブル景気に邁進(まいしん)しつつあった56年に始まり、視聴率は尻上がりに上昇。最終回は20%を超えた。「僕が伝えたかったのは、原始的で貧しいけれど、品行ある幸せな生活があるということ。原発事故で文明が『砂上の楼閣』と気づかされた今、どう生きるか。震災で受け取る側に変化があるでしょう。メッセージと時代が合う気がします」
震災発生時は北海道で、自ら主宰した富良野塾OBの脚本家らに、「北の国から」が生まれた背景や思いを語っている最中だった。以後、講義は震災と照らし合わせて作品を語ることになった。「日本人は戦後、アクセルだけでブレーキもバックギアもない車で走り続けた。五郎は時速5キロだけれども、いつでもバックできる暮らしです」。スピードが称賛される現代、時速5キロの五郎の生き方を登山に例え、現代に問う。
「富士山を登った人のほとんどは5合目から。でも海抜ゼロから登れば、全然別の発想ができて、選択肢が広くなる」
8月20日午後7時からはBSフジで特別番組「いま 五郎の生き方~2011 倉本聰~」を放送する。
【メモ】「北の国から」
昭和56年10月から57年3月まで、フジテレビ系で全24話が放送。北海道・富良野の大自然を舞台に家族の絆を描いた。主人公の黒板五郎を田中邦衛(78)、息子の純を吉岡秀隆(40)、娘の蛍を中嶋朋子(40)が演じた。さだまさし(59)の主題歌も人気の一助となり、翌58年から平成14年まで8編のスペシャルドラマが制作される国民的人気シリーズとなった。
>■18日からBSフジで再放送
「震災を経て、文明社会がある意味崩れたとき、何をよりどころにしたらいいのか。プリミティブ(原始的)な生活とは何か。改めて今、『北の国から』を見てもらいたい気持ちがあります」。脚本家、倉本聰(そう)(76)の代表作「北の国から」放映30年の今年、BSフジで18日、連続ドラマの再放送が始まる(毎週月曜午後10時)。文明に背を向け、東京から北海道・富良野に移住した黒板(くろいた)五郎。倉本が今、彼に託した思いを語った。(飯塚友子)
東日本大震災後、倉本の住む富良野麓郷(ろくごう)は、福島の子供を15人ほど受け入れた。市街地から車で30分かかる、人口約800人の過疎の集落。「本当に(黒板の子供の)純と蛍のような小学生です。子供たちはのびのび暮らしていますが、親の中にはこちらが用意した家に躊躇(ちゅうちょ)し、札幌に移った人もいますね」
第1話では、東京の優等生だった小学4年生の純が富良野に来て、五郎に「電気がなかったら暮らせませんよッ」と訴えるシーンがある。夜になったら眠る、ご飯は薪で炊く、テレビは置かない-。五郎は、便利さとは正反対の、水も電気もない暮らしが始まることを、息子に宣告する。
「でも彼らは原野で日々やることがあり、発見や楽しみがある。それは金のかからない、有意義な暮らしという気がします」
純の驚きは、昭和52年に富良野に移住した当初の倉本自身の驚きでもある。東京の便利な暮らしで汗をかかなくなったと不安を感じていた倉本は、富良野の人々と出会いショックを受けた。「土と自然を知る人に全くかなわない。彼らは知識でなく、知恵でたくましく素朴に生きていた。見るもの聞くもの新鮮で、都会の子供がこんな原始的な暮らしにほうり出されたら、何を思うか試したかった」
放映は日本がバブル景気に邁進(まいしん)しつつあった56年に始まり、視聴率は尻上がりに上昇。最終回は20%を超えた。「僕が伝えたかったのは、原始的で貧しいけれど、品行ある幸せな生活があるということ。原発事故で文明が『砂上の楼閣』と気づかされた今、どう生きるか。震災で受け取る側に変化があるでしょう。メッセージと時代が合う気がします」
震災発生時は北海道で、自ら主宰した富良野塾OBの脚本家らに、「北の国から」が生まれた背景や思いを語っている最中だった。以後、講義は震災と照らし合わせて作品を語ることになった。「日本人は戦後、アクセルだけでブレーキもバックギアもない車で走り続けた。五郎は時速5キロだけれども、いつでもバックできる暮らしです」。スピードが称賛される現代、時速5キロの五郎の生き方を登山に例え、現代に問う。
「富士山を登った人のほとんどは5合目から。でも海抜ゼロから登れば、全然別の発想ができて、選択肢が広くなる」
8月20日午後7時からはBSフジで特別番組「いま 五郎の生き方~2011 倉本聰~」を放送する。
【メモ】「北の国から」
昭和56年10月から57年3月まで、フジテレビ系で全24話が放送。北海道・富良野の大自然を舞台に家族の絆を描いた。主人公の黒板五郎を田中邦衛(78)、息子の純を吉岡秀隆(40)、娘の蛍を中嶋朋子(40)が演じた。さだまさし(59)の主題歌も人気の一助となり、翌58年から平成14年まで8編のスペシャルドラマが制作される国民的人気シリーズとなった。
- 北の国から Vol.1 [DVD]/田中邦衛(主演)
- ¥4,179
- Amazon.co.jp