ゆとり教育終了どう思う? ブログネタ:ゆとり教育終了どう思う? 参加中
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暗記するだけの学習から自ら考える力を養う学習へという理念そのものは間違いではないと思うのだけど、それを「学校」という規則に基づいて集団生活する場で、最終的には「評価」という結果を出さなければならない状況で行おうというのがそもそも間違いだったんだと思います。

「ゆとり」というのが学習量を減らすことに直結した時点で、すでにその先行きが危ういことぐらい気づいててよかったと思うんだけどね。有識者と呼ばれる人達は何やってたんだか。そういう人達は責任とらなくていいから気楽なもんですわ。これから「ゆとり教育」を受けた世代はうんと苦労するだろうに。

とはいえ、今現在、日本で「生きる力」を身につけさせようというのはかなり難しい問題ですよ。だってお金さえあれば何でも手に入る世の中なんですから。コンビニが身近にある環境に暮らしている子どもにとっては「生きる」イコール「お金」でしょうから、そのお金を得る手段を考えるのがその子にとっての「生きる力」になるでしょう。そのお金をお小遣いとして親から貰うか、カツアゲして友達から奪うか、どっちが「生きる力」が強いかといえば、そりゃまあカツアゲする方でしょうね、もちろん犯罪ですけど。

きれい事じゃない「生きる力」っていうのはそういうことです。欲しいものがある時にお金がない→親にねだっても貰えない→じゃあどうするか、って考えるところから始まるわけですよ。解決法として親の財布から盗むとか友達からカツアゲするというのは最も短絡的で危険性の高い最悪の方法ではありますが、でも少なくとも自分の欲しいものを手に入れることはできる。それで味を占めたら犯罪者への道まっしぐらですけど。幸いにして未だ日本は法治国家ですので。親の出番はそこで「欲しいものがあっても犯罪に手を染めたらいかんのだ」と教えることですよね。その際「つかまったら刑務所にぶちこまれるからだ」と脅すか、「人のものを盗るのは悪いことだからだ」と諭すかは親によって違うでしょうが。

どうしても欲しいものがあるのにお金がないから買えない。

それって、実は一種の危機的状況であるわけで、そのぐらい切羽詰まった環境に身を置かれないと「じゃあ、どうしようか」という知恵をめぐらす機会はなかなか訪れないものなのです。

ということは、子どもに「生きる力」を身につけさせたいのなら、「一種の危機的状況」に置けばいいのですよ。昔から言うじゃないですか、「可愛い子には旅をさせよ」って。現代日本の教育現場でできるのはどうしても大人の管理下ということになるでしょうが、それでも困難に直面した時に自分で立ち向かい解決する機会はなんとかして子ども達に与えねばなりません。

そのためには一度子ども達を何でもお金を出せば解決できるような都会から切り離すのがベストだと思うんですよね。自然が豊かな環境の中で、人間は電気も水道もなくても生きていけるという実感を養うことが大事だと思うんです。原点回帰ってヤツですね。

人類はかつて森で暮らしていたそうです。
子ども達が生きる力を養うためにはだから森へ行くのがいいのかもしれません。

でも今、日本の森ってどうなってるんでしょう?
安心して子ども達を送り届けることができる場所なのでしょうか?

実はブリヂストングループで、子どもたちの環境意識の醸成や、多くの方々に自然の大切さを再認識してもらうため、さまざまな社会活動を通した環境貢献活動を「エコ・プロジェクト」として推進していて、その1つとして、これまで那須塩原市(栃木県)で森林整備活動「B・フォレスト」を行ってきましたが、2010年1月、「B・フォレスト エコピアの森」へとリニューアルしたんだそうです。


未来のすべての子どもたちが「安心」して暮らしていくために、ブリヂストンは森の未来を全力で支えていくということをテーマに取り組んでいるそうなので、「B・フォレスト エコピアの森」なら「生きる力」を養うのに最適かもしれません。問題解決能力だけじゃなく、自然との共生にまで子ども達が目を向けてくれるなら言うことなしです。

また「B・フォレスト エコピアの森」では、ECOPIAの売り上げの一部を活用し、森林整備活動をさらに加速しているそうです。

子ども達のために、或いは「ゆとり教育」で大きくなってしまった世代のために、「B・フォレスト エコピアの森」がちからになる、そんな日が来ることを夢見ます。

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