以下、ツイートのまとめです。


そういえば初代キャリーのシシー・スペイシク(オスカー女優。「キャリー」でじゃないけど)、こないだ試写会で見た「ヘルプ」に出てました。でもどのキャラだか全然わからず後でネットで調べたら、何とビックリ、すっかりおばあさんの役でした。ブライス・ダラス・ハワードの母役だけど、どっか変な人。


クロエちゃんも好きだけど、ジェニファー・ローレンスも好きなのです。「ウィンターズ・ボーン」は激しい映画でした。この映画で描かれている環境って今の日本からすっごく遠いようでいて、でも任侠映画の世界と実は背中合わせみたいなところ、あるような気がする(任侠映画をあまり見ていないので)。


「ウィンターズ・ボーン」の話は、生活環境的には特殊かもしれないけれど、意外と普遍的な物語だから世界中で受け入れられたんだとしたら、そこで描かれている「掟」って、結構プリミティヴな、人類が定住してコミュニティーを作ったら自然と生まれる「法」みたいなものなのかもしれないね。


そこに現代の三権分立の司法がからんでくることによる軋轢によってジェニファー演ずる少女が苦労するという……う~ん、つまり彼女は法治国家に住みながら無法地帯の「掟」の制約も受けているという訳。日本に住んでいる外国籍の方にもそういう部分あるんでしょうかね?「新宿インシデント」みたいな。


アメリカの映画やドラマを見ているとそういうダブルスタンダード(でいいのかな?)頻繁に感じる訳ですが、普通はいわゆる白人と他の人種や移民という別枠で語られるものが、「ウィンターズ・ボーン」では同じ白人間でそれがあるというのが一種の衝撃だったのね。ジェニファーが金髪美少女だけに尚更。


「法の網をかいくぐる」と言う言い回しがありますが、普通に現代の日本人やってたらそれは一重でいい訳じゃないですか。ところがそこに住んでる集団の「掟」が加わると網が二重になるから、網の目が密になって息苦しいんですよね。で、どっちも立てなきゃいけないから板挟みになるの。板挟み=ドラマね


まあ、現代の日本人でも法の網の内側に会社とか仁義とかの網にからまれてる人はいますよ。でも日本国籍持ってる限りは日本の法律が一番上なのは明白じゃないですか。アメリカでも本来は同じはずなんだけど「見て見ぬふり」というか「触らぬ神に祟りなし」というか、違う「掟」が上位だったりするのね。


いわゆる白人の法は白人社会を犯した時にのみ適用される、みたいな感じでそうじゃない人々の間では別の法が通用してるみたいなね。そういうのを一つ通り隔てた向こうで感じるというのは、日本ではあまりないと思う。尤も私が知らないだけかもしれないけれど。日本にだって暗い歴史はあるからね。


とにかく、そういうがんじがらめに縛り付けられてるような状況で、息を殺して生きるにしろ、押しつぶされることなく頑強に自分を通して生き抜く力を演技で示してくれてるのがジェニファー・ローレンスだったり、クロエ・グレース・モレッツだったり、シシー・スペイシクだったりするわけです。


全然関係ないけど、佐藤健君の「ろろうに剣心」の予告見たけど、「キック・アス」のクロエちゃんのアクションに影響受けてるような気がしたんだけど……。いえ、ほら、壁をね……。アングルは違ったと思うけど、まんまアレじゃないすか。いえ、タケル君好きだからいいんですけど。