トニー・スコット監督が橋から飛び降り自殺したという第一報を目にした時、目を疑ったのは私だけではないはずです。
まだまだ現役でガンガン作品を撮れるお歳でしたし、兄上のリドリー・スコット監督と一緒のプロデューサー業も順調だとばかり思っていたのに……まあ、こういう業界は裏がどうなっているのか実情はわからないですけどね。

トニー・スコットがエグゼクティブ・プロデューサーをつとめたという「The Grey 凍える太陽」を見たばかりだったので、ショックはより大きかったです。

リドリー・スコット監督の「プロメテウス」を見ても思うことですが、「The Grey」にもキリスト教の神に対する深い葛藤が感じられました。子どもの頃に教え込まれ身についてしまった信仰心が、捨てようとしても捨てようとしても執拗に蘇ってくることへの怒りや、そこまでの信心を要求しながら何もしてくれない神への絶望、それでも人間以上の存在を信じることによってしか救われない自分への苛立ちといったものが渾然一体となってこの兄弟の作品の根底には流れているような気がします。女性と母性に対する屈折した感情も相当なものですが(一体どういう育ち方をしたんだ?)

「プロメテウス」では自分を生み出したものとしての母、及び造物主としての神、双方に対する苛立ちと怒りが、感情をあらわにしないデイヴィッドというアンドロイドを通してごくごく静かに平穏に表現されていました。それは「自分が望んでこの世に生まれてきたわけではない!」という、ティーンエイジャーの憤りそのものです。身勝手な親に対する最大限の反抗ですね。それが老獪な監督の手にかかるとこのような映画になるわけで。

でもさすがリドリー監督は大人で女の事情もわかっているな~と感心したのがノオミ・ラパスの存在。彼女は「ミレニアム」で示した通り、自分の身に受けた陵辱に決して屈せず、それをはね返すパワーを秘めているのです。これは女性の目からは本当に小気味いいシーンなのですよ、描写としては目を覆いたくなりますがね。

ところで「エイリアン」という存在は、これはどこまでも自分の意志で生まれてきて他の命を犠牲にすることで生きのびてゆくという、「望んで生まれてきたワケじゃない!」とほざくティーンエイジャーとは対極に位置しているのです。望もうが望むまいが、生まれたからには生きねばならぬという生存本能の権化で、実は人間そのものの姿でもあるのですよ。

「望んで生まれたワケじゃない!」と言い、「もはや生きる望みを全て失った」と言ったところで、自分の生命が脅かされれば「死にたくない!」と思い生き延びる手段を講じる、それが人間というものです。トニー・スコット監督の方は、ワリとこういった作品を撮っていたように思います。ストーリーとしてはシンプルになりますが、生きることに行き詰まってしまった人間が危機的状況に陥った時に再び生きる力を取り戻す、みたいなね。

「The Grey」にもそういう部分があって、あ、これはやっぱりスコット兄弟の作品につながるんだな、と思ったものです。作品中、リーアム・ニーソン演じるジョン・オットウェイがキリスト教の神様に対して激しい怒りをぶつけるシーンがあるんですが、それが神様と対等というか、ほとんど叱りつけるが如き上から目線でもの言ってるもんで、「あ、これができるのはゼウス(@「タイタンの戦い」)のリーアムしかいないわ」と思ったものです。

といって、「The Grey」の作品のテーマは別に宗教的なものではなく、これは作中でジョン・オットウェイの父の作品として紹介された4行の詩に全て集約されているんですよね。正確な語句は覚えていませんが、確か「最後にもう一度戦うことができれば、その日死んでも悔いはない」といった内容でした。

それが何を意味しているかは「The Grey」を見てもらうこととして、でも、トニー・スコット監督の訃報を聞いた時に思い出したのがその詩だったんですよね。

彼はきっと、最後まで戦ったんだな、って。

それで悔いがなくなったので、この世に別れを告げたのでしょう。

トニー・スコットは、自分が生きるだけは、生きたのです。

最後の幕引きは映画監督らしく、自分で演出したかったのでしょうね。

思えば彼の作品には常に色濃く死の匂いが漂ってたような気がします。タナトスに惹かれる者の印があるとするなら、彼にもきっと刻印されていたのでしょう。どこか、目立たぬところに、でも、はっきりと。

ティーンエイジャーが「自分が望んで生まれてきたわけではない」と思う時には、自傷行動や自殺衝動も一緒にあらわれたりするもので、それらは表に出なくなっても決して消失するものではないのです。何かのきっかけで、とても容易に顔を出す。

だから私としてはリドリー・スコット監督が弟の死で気落ちして彼のあとを追ったりしないように祈るばかりです。不世出の映画監督を続けて二人も失いたくないですから。

何はともあれ、トニー・スコット監督、今はやすらかに……。