これは先に挙げた作品ランキングの中で最も重厚な作品。
脚本の出来具合も美術も俳優の演技力もナンバーワンだと思います。衣装も、これは好みの問題ですが、最高に美しかった。全体の完成度で言うなら、文句なく群を抜いての一番です。
じゃあどうして先のランキングで3位なのかというと、静かすぎるから。
がちゃがちゃした性格の私には仰仰しい雄叫びと共に繰り広げられる戦闘シーンとか、けたたましい悲鳴と共に展開される超自然現象とか、大袈裟な音をたてて壊れる建築物とか、空気を切り裂く音に飛び散る血しぶき等が存在しない作品はどこか物足りなく感じられてしまうのです。
そうなんですよ、この「危険なメソッド」は監督がクローネンバーグなのにも関わらず、彼の十八番である激しい肉体破壊を伴うグロくて痛そうなシーンが全然ないんですね! 作品の中で見られる「出血量」としては、クローネンバーグ映画史上、最も少ないんじゃないでしょうか。
しかも主演にマイケル・ファスベンダー、助演にヴィゴ・モーテンセンという、どちらも相手の命を奪うべく肉薄して戦う役を得意とするような、本人達が抜き身の剣の如き俳優二人揃えておいて、一切のアクションなしなんですからね! 彼らがお互いに対して起こした肉体的行動って、握手ぐらいかねー。
それなのに、それでも3位なのは、彼ら二人の台詞の応酬が無類に面白いから!
今回彼らが操るのは剣でも拳(こぶし)でもなく、言葉。
けれどもその言葉には相手の懐めがけてまっしぐらに飛び込んでいく凄まじいパワーがあるのです。彼らの会話はまるで言葉を拳代わりに使ったボクシング。その言葉を彼らはジャブにストレートにと自在に使い分け、打たれたらすぐにまた打ち返す。そこには「駆け引き」といった損得勘定に左右される上っ面な世界はなく、全てが真剣勝負です。
だからユング(マイケル)とフロイト(ヴィゴ)のやり取りを見て聞いているだけでゾクゾクしてくるんですね。彼らが台詞を語る時、そこにはその時点でのユングとフロイトの全てが込められていると言っていい。マイケルとヴィゴはユングとフロイトの人生を自分の中に築き上げ、彼らがその時自分が発しようと決断した言葉として台詞を語っているのですよ。スクリーンの中でマイケルとヴィゴが喋っている言葉の一つ一つが、あたかもユングとフロイトの発言そのもののように聞こえてくるのです。さりげない台詞一つでも、そこに彼らの生きてきた軌跡をちゃんと感じる。この作品で語られる言葉の一つ一つには一体どれだけの情報量が含まれているんだろうと、舌を巻いてしまいました。
フロイトとユングといえば「精神分析」で有名ですから、ちょっとその手の本を読んだ人なら誰もが知っているエピソードがこの「危険なメソッド」にはたくさん出てきます。映画を見ていると、つい「そうか、これはそういう事だったのか」とまるで実際に起こったことの再現フィルムを見ているような気にさせられてしまいますが、これは史実に基づいているとはいえ飽くまでフィクションですから鵜呑みにしてはいけないのです。
鵜呑みにしてはいけないのですが、ヴィゴとマイケルの演技があまりに完璧なので「あの出来事は実際にもこういう風に起きていたに違いない」と、つい目からウロコが落ちたような気分にさせられてしまうのですよね~~~。それが観客をしてスクリーンの中で起こっている出来事があたかも現実であるかのように錯覚させてしまう。だから映画を見ている間観客達はそれが本当に起こった事だと信じている。これこそが「危険なメソッド」の持つ危険な力(ちから)、今度は観客を映画の中に取り込んでしまおうというクローネンバーグの恐るべきパワーなのですよ。遂にクローネンバーグ監督、映画(虚構)と現実の垣根を取り払って内と外を混在させるレベルにまで到達しましたか。これぞ彼の真骨頂ですね。
「危険なメソッド」は元々は舞台劇だったそうですが、その脚本家が自ら映画の脚本も手がけたそうで、実に見事な、一分の隙もない作品に仕上がっております。どれをとっても粒よりの美しい言葉、美しい文章に耳を傾けているだけで楽園に連れて行って貰えるようです。
あ、もちろん登場人物は英語で話してますから耳だけで全部意味が分かるわけではなく字幕の恩恵も受けているのですがね、でもこの作品に関しては英語の言葉を聞いているだけでも充分なのですよ。
だって声と台詞回しが素晴らしいんですもの!
と再びマイケルとヴィゴの大絶賛へと戻ってしまうわけなんですが、これはもう見て聞いた人なら間違いなく諸手を挙げて賛成してくれると思います。
磨き抜かれた言葉を語るには鍛え抜かれた声がふさわしいですが、マイケルとヴィゴはまさにピッタリでした。攻撃性を内に秘めつつ、鋭い知性と深い人間性を同時に感じさせる声。こういう声でユングやフロイトの書簡を朗読されると、手紙の文面が詩に聞こえてきます。まあ、実際はドイツ語で書かれた物が英訳され、さらにそれを日本語字幕で見ているので内容は大意しか掴めていないと思うのですが、詩で大切なのはリズムと抑揚なので。俳優達はそのリズムと抑揚を操る事でそこに込められる感情の起伏を調節し、声のトーンで喜怒哀楽を表現するのです。
私が最も感心したのは、ユングとフロイトの往復書簡が終わりを迎える時。ユングはフロイトを思いやるありったけの思いを込めてその手紙を書いたのだろうと、マイケルの朗読を聞いている観客には充分伝わるのに、それを読んだフロイトは文面だけで判断してそれを自分への皮肉か侮辱と受け取ったのだと返書を朗読しているフロイトであるヴィゴの声は語っているのですよ。そしてそのフロイトの手紙を受け取ったユングは深く傷つき失望し、怒りではなくやるせなさと悲しみから最後の手紙を書いたのだと、押し殺したマイケルの声が伝えているのです。
この時のユングとフロイトの間にどんな感情のやりとりがあったのかなんて他人に分かるはずないのに、マイケルとヴィゴの声を聞いているとまさにこういう事だったに違いないと確信さえ覚えてしまうんですから、スゴイというか恐いというか。クローネンバーグ監督もこの二人を起用できてホント満足だっただろうなと思います。
この作品、一度見ただけなら、「アルゴ」の方が面白かったと言ったかもしれません。見ている最中、心臓に悪い程のスリルとサスペンスを存分に感じたという点では「アルゴ」の方が上です。
でもね、「アルゴ」は一回見たらもういいんですよ(心臓に悪いから二回目見たくないだけかも)。
けれど「危険なメソッド」は何回見てもおもしろいんです。私三回見ましたけれど、そのたびに作品にひきこまれ、さらにこの先何度でも見たいと思いました。先程は俳優の声が最高と書きましたけれど、これ、映像美も圧倒的なんですよ。
20世紀初頭、第一次世界大戦以前のスイスとオーストリア(主にウィーン)が主な舞台なので、風景も街並も建築物も元々美しいものばかりなのですが、それをクローネンバーグが切り取った構図で見てるともう目が離せないです。登場する人物も彼らが着ている服も美しいのですが、金持ちの妻を持つユングがいつもびしっと決めてるのに対しフロイトが身につけているものはどれも多少くたびれた雰囲気が漂っているんですよね。
このユングとフロイトの財力の差がちょーっとずつ二人の間に溝を作っていくのですが、そういう所に気づかないユングの絶妙な無神経さをマイケルが実に上手く演じているのですよ。そしてそのたびに自分が彼に比べて貧乏な事に気づかされて心にさざ波が立つのを禁じ得ないがそれを表に出せないというフロイトの微妙な葛藤をヴィゴが好演しております。この二人の演技を見るのは至福ですね♪
女性達は、この時代のモードがそうだったのか、外出時はほとんどがレースで飾られた白いブラウスとスカート。このレースですがどれも逸品ぞろいで、女性としてはそれらを見ているだけでもワクワクしちゃいます。一口にレースといっても種類もデザインも様々で、何を選ぶかによって女性の性格分けもされていたようです。私はキーラちゃんが出てくるたびに今度はどんなレースかしらと目を皿にしてブラウス見つめたものです。
はい、ここでようやく出てまいりました、この映画のヒロイン、キーラ・ナイトレイ。
ワタクシ今までさんざんマイケル・ファスベンダーとヴィゴ・モーテンセンばかりを褒めちぎって参りましたが、「危険なメソッド」の真の主人公は彼女、キーラ・ナイトレイでございます。男二人を土台にし、キーラはこの作品の中心として彼ら以上に光を放ち、燦然と輝いておりましたよ。
私、これまでもキーラちゃんの事は高く買ってたつもりでしたが、彼女がザビーナとして現れた瞬間、今まで彼女を過小評価していた事を悟りました。この方はスゴイ女優です。
どのぐらいスゴイかって、そうですね、同じクローネンバーグの映画で「イースタン・プロミス」と「ヒストリー・オブ・バイオレンス」に出演してた時のヴィゴ・モーテンセンぐらいスゴイです。うん、彼の二作分を「危険なメソッド」一作でやっちゃった感じ。そのぐらいスゴイ。
これはもう私が語ってもしようがないので、その目で見て頂くのが一番ですね。壮絶なザビーナの人生を生ききったキーラ・ナイトレイの演技、ぜひ、劇場でご覧下さい。かなわぬ方はDVDやブルーレイでもいいからとにかく見てね!
それから、役柄として目立つザビーナの陰になってほとんど語られていませんが、実はもう一人レースを身につけた美女が登場いたします。この美女、目立たぬようで隠然としたパワーを備えております。彼女なくしても「危険なメソッド」は成立しませんので、しっかり見て頂きたい存在です。演じたのはサラ・ガドン。もうじき日本でも公開される「ドリーム・ハウス」やクローネンバーグの次回作「コズモポリス」にも出演しているそうですので要注目。
あ、忘れてた、ヴァンサン・カッセル。
はい、相変わらずケダモノで、相変わらず父親の過度の期待に負けて逃げをはかってました。ええ、あの、重要な役です(←二回目あたりから彼が出てくるシーンでは寝てた人)。
重厚で知的で、そして扇情的な「危険なメソッド」。
お見逃しなく!
うん、ここまで書いたら、やっぱりこの作品をナンバーワンに推してもいいんじゃないかって気がしてきた……。