「ガメラ」特殊造形スタッフが47年前の衝撃撮影エピソードを告白(映画.com) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121125-00000013-eiga-movi
47年前の1965年11月27日に「大怪獣ガメラ」が劇場公開を迎えたことから11月25日、ガメラの2日早い“誕生日”を祝した特別上映会が都内の劇場で行われた。上映後には、元祖ガメラの誕生に携わった特殊造形師の村瀬継蔵氏、平成版「ガメラ」シリーズの造形スタッフである特殊メイクアーティストの原口智生氏によるスペシャルトークイベントが開催された。
【フォトギャラリー】「大怪獣ガメラ」特別上映会の様子はこちら
東宝の「ゴジラ」に対抗する形で、大映初の怪獣映画の主役として生まれたガメラは身長60メートル、体重80トン。手足をひっこめ甲羅をジェット回転させて飛行する姿が観客の心をつかみ、瞬く間に人気怪獣となった。
当時の映画界には、各社の専属契約の俳優・スタッフが他社の作品に参加できないという“五社協定”が存在。東宝に所属していた村瀬は、知り合いの劇団へ移籍するという形で協定を乗り越えた。東宝・大映両社製作作品に携われるようになってからは、「昼はエビラ(『ゴジラ』に登場する怪獣)、夜はガメラを作っていた」という。
だが、東宝に仁義を切る意思もあり、ゴジラで培った樹脂を使用するという最新の技術をあえて封印。「金網を使ってガメラの甲羅や顔を作った」そうで、1度撮影に使われるとへこんでしまうこともあり「翌日の撮影のために夜中に直していた」と明かした。
「幼稚園の頃に映画館で見て、プラモデルも持っていた」という原口。“パパ”と慕う村瀬によるガメラについて「第1作目は白黒で、東宝の怪獣にはない生々しさがあり、子ども心に『怖いな』と思っていました。そういう素材を選ばざるを得なかったなかで生まれたガメラのなまめかしさは、初代の魅力です」と語る。また平成版を作るにあたっては「オマージュがないわけではないが、僕にとってはすでに体に染みこんでいるものですから」と元祖の偉大さに言及した。
合成映像によるビームではなく、本物の火を口から噴くのもガメラならではの魅力。村瀬は「豆腐を焼くバーナーを見て『使えるぞ』と思ったけど、25センチくらいしか(火が)伸びない。そこにガソリンをつぎ込んだら、今度は3~4メートルになってしまった」と述懐。口の周囲や甲羅が燃えただけでなく、危うく火事になりかけたこともあったそうで「みんなで慌てて消しました(笑)」と明かした。原口も「映画をよく見ると、火を噴いたガメラ自体が火事になっているようなシーンがいくつもある」と笑っていた。
この日の客席には、本シリーズにかかわったスタッフの姿も多く見られた。「大怪獣ガメラ」の本編および特撮の美術を担当した井上章氏もトークに飛び入りで参加。いまは亡き湯浅憲明監督の「ガメラは私なんだ」という言葉を紹介し「僕にとっても青春そのもの。亡くなったスタッフたちに今日の上映を捧げたい」と語った。
2015年にはガメラ生誕50周年を迎えるが、原口のもとにはファンから新たな作品を求める声が届くという。村瀬は「僕がいる間にできれば」と語り、井上も「もう一度見られたら。いまの技術でどういうものができるのか? ガメラに愛を捧げてください」と訴えた。