そうです、政治家ならば建前だ本音だ言う前にリンカーンのように信念に基づいて行動すべきなのです!


と、未だ日本の某政治家の発言にむかっ腹をたてている私ですが、実は「リンカーン」を見たのは「ジャッキー・コーガン」を見た直後。史上最低のクソッタレ映画を見た後だけに「リンカーン」の美しさは心に染みましたわね。スピルバーグのおかげで超ムカついていた気持ちを鎮めることができました。かくも人の心を揺さぶる作品を撮り続けることができるからこそ、スピルバーグは名匠と呼ばれるにふさわしいのですね。「ジャッキー・コーガン」の監督はスピルバーグの爪の垢でも煎じて飲めばいいのよ(←まだ怒っている)。


さて、「リンカーン」(公式サイト)


私がリンカーンの素晴らしさに心の底から気づかされたのは、実はスピルバーグの映画を見た時だったんですよ。そう、「プライベート・ライアン」。目に映る全てのものが殺し合いを続け、累々たる死者の山を築いていた激しい戦闘シーンのあとで、ある手紙が読み上げられます。息子全てを戦死で失ったある母親にあてられた哀悼の意を表するその手紙は、最初は「何を白々しい」ぐらいとしか思えなかったのに、文面が進む内に次第に書き手の母親を思いやる真心と悲しみが伝わってきて、テレビで見てたんですが思わず居ずまいを正して聞き入ってしまったものです。そして最後に書き手の名前が読み上げられた時、それが有名なリンカーン大統領の手によるものだったと分かるのですね。ああなるほど、人の心を動かす演説をした人の文章だわと、心底納得したものです。言葉の美しさとは表面ではなく、そこに込められた気持ちが真実か否かで決まるのですが、この手紙の美しさは本物でした。言い訳等一切せず、悲嘆のどん底にいる母親を無理に励まそうともせず、ただただ深い悲しみを共有し彼女の心に添い、いつか神による癒しがありますようにとだけ願うその優しさ。リンカーンという人の本質がそこにあります。


「プライベート・ライアン」ではこの手紙のせいもあって、ある一家の息子達が全員死亡という事態に至ることを避けるべく、1人を救出するために無関係な8人が犠牲になるというストーリーが描かれるわけですが。


人命の数だけで考えれば1人が生きるために8人死ぬなんて確かにアホな話で矛盾を感じずにはいられないのですが、でも、リンカーンの手紙があるから、あの美しい言葉を聞いてしまっているから、そうなってしまっても仕方がない……と、そう思えるのですよ、観客は。つまりこの手紙なしに「プライベート・ライアン」は名作としては成立しないのです。あったところで一歩間違ったら誰も納得しないけど。


リンカーンの手紙を通じてスピルバーグが語っているのは、戦争で失われる命の数の問題ではなく、人が未来を信じて生きられるかどうかなのです。手塩にかけて育てた子ども全員を戦争にとられて死なされてしまったら、残された母親はその後どんな気持ちで生きてゆかねばならないか。自分が先祖から受け継ぎ、子孫を通じて後世に残すはずだったものが全て奪われたんです。そんな事を強いた国を、母親達が支持できると思うでしょうか。そんな怨嗟に満ちた母親達が国の将来を明るくすることがありうるでしょうか。子どもというものは未来への希望です。その希望の目を全て摘み取ってしまってはいけない。言葉によって明確に語られるわけではないにしろ、「プライベート・ライアン」にはそんな思いが満ちています。だからこそライアン二等兵一人の命を永らえさせるために8人が犠牲になっても、それは無駄ではなかったと、見ているものは感じることができる。ライアン二等兵を通じて未来に希望を繋ぐことができるからこそ、この映画は名作と言われる。少なくとも私はそう思っています。母親=女性の気持ちをきちんと尊重してくれてますしね。


「リンカーン」本編にその手紙は出てきませんでしたが、しかし随所に子どもを思う親の気持ちがあふれていました。ダニエル・デイ・ルイス演じるリンカーンにも、サリー・フィールドが演じたその奥方にも。サリーが今回のアカデミー受賞を逃したのは、もうすでに二回とってるからというのが主な理由なんでしょうね。


それにしてもこんなにも子どもをなくした親の悲痛さを克明に描けるなんて、スピルバーグ監督自身にも何か似た経験があるのでしょうか。特に母親の悲嘆と苦しみには胸に迫るものがあります。残された息子を戦地に行かせまいとするリンカーン夫人の激しさは、夫も息子(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)をも辟易とさせるものですが、でも母親ならあれが正直な気持ちだろうと心底思いましたよ。「プライベート・ライアン」では出さなかった女性側の意見を、「リンカーン」ではきっちり本音として吐露させたのですね。


だって「リンカーン」、「プライベート・ライアン」以上に犠牲者いっぱい出してるもん、未来に希望をつなげる、そのためだけに。ここではそれは合衆国憲法修正第十三条の下院議会による批准ですが。それはアメリカにおける奴隷制度にきっぱりと別れを告げるためのもので、やがては夫人や黒人の参政権が認められるようになるための第一歩だったにしろ、そのために払った犠牲は莫大なもの。南北戦争の戦死者は両軍合わせて62万人と言われてます。この作品では戦闘シーンはメインではないので時々さしはさまれるだけですが、それでも一目で「激戦」だとわかります。そのむごさが最もよく伝わってくるのはリンカーンが息子を伴って戦傷者を見舞うために病院を訪れたシーンですが……そんじょそこらのホラーがハダシで逃げ出す凄まじさですよ。


その戦争を終結させることよりも、リンカーンは合衆国憲法修正第十三条の下院議会による批准を何よりも優先させる。そのためにさらに犠牲者が増えることを充分承知した上で。その経緯を描いているのが「リンカーン」なんですね。


実際、この作品の中ではリンカーンをを独裁者ではないかと糾弾する場面さえあります。でもそうではないことは、観客にはちゃんと分かる。その辺、ダニエル・デイ・ルイスの演技の真骨頂ですね。まるでリンカーン自身の苦悩を見ているような気にさせられますから。


ここで描かれているリンカーンは、それこそ建前と本音を使い分ける策士とさえ言えるでしょう。憲法修正第十三条を下院で批准させるためならなりふり構わない。できることなら何でもする。なじられようとそしられようと知らぬ顔です。何故ならば、彼が目指しているものは、人がいずれ到達すべき理想に至る第一歩だと、彼は信じて疑わないから。その美しい理想こそが、人を変えていく力になると、彼が信じているからです。それを実現に近づけるためなら喜んで泥も被る。彼の心にはそういう熱い思いがたぎっているのですね。


その時のリンカーンの行動を批判するのは簡単ですが、しかし彼が成し遂げたことの上に現在私達が暮らしている世界が成り立っていることを忘れてはいけません。150年かけてちょっとずつ、人類は人権の尊重と平等を目指して進んできました。未だに女を性欲のはけ口としかとらえてない男がいる一方、「リンカーン」の中には敬意と愛情をもって女性に接するその時代には希有であったであろう男性も描かれています。これがまた、ぐっと来るシーンなんだな。全く、スピルバーグという人は万事においてぬかりがありません。


今の世の中、問題はいろいろありますが、「リンカーン」を見れば未来に何を伝えるべきか考えるいいキッカケになると思います。世の中金が全てだという思想をダイレクトに伝えていくと「ジャッキー・コーガン」のような世界になっちゃうだろうから、できればそれは避けたいもんね。