「グランド・イリュージョン」
、私はこの作品を生涯忘れない。
ってゆーのも、初日にこの映画見に行って、始まるまでに10分あるから芸能ニュースでもチェックしようかとPC(ノートを持ち歩いてるんです)あけたら飛び込んで来たのが「オーランド・ブルーム 離婚!」のニュースだったからさ。
やー、びっくりしたわ。
その日も忙しくて全然ニュースをチェックする暇がなかったので、昼頃に第一報があったのをすっかり見逃していて、午後の9時過ぎに知ったんだけど、慌ててその場でブログの記事アップよ。世の中、何が起こるか分からないものですね。つい前日までミランダ・カーがオーランドをべた褒めしてるような記事が出てたのにさ。それだけ平気で他人をたばかられるなら、望み通りいつでも女優になれるわよ、ミランダ。
それはさておき、そんな驚天動地の事件(私にとっては)があった後だけに、気もそぞろで全然集中できないんじゃないかと心配してたんですが、全くそんなことはありませんでした、「グランド・イリュージョン」。えらいぞ(←上から目線)。
冒頭、いわゆる「つかみ」の部分では後に「4ホースメン」を名乗ることになる男女4人のそれぞれのマジックを見せてくれるんですが、この見せ方が上手なのですね。ワタクシなんぞ、ジェシー・アイゼンバーグの立て板に水の早口を聞いた瞬間、すでにとりこになってましたもんね。まず、キャスティング上手いな~と思いました。
ジェシーって、「何考えてるか分からない」上に「集団の中にあって一人外れている」役がハマるんですよね。「ソーシャル・ネットワーク」では「知能が高くて普通の人にはついていけない」、すなわち周囲の人間は彼が何を考えてるのか理解できないし、彼の方は周囲の人間に共感を感じないので心づかいをする気も起きないという役でした。
これ実は「周囲の人間」を「ゾンビ」に代えると、そのまま「ゾンビ・ランド」の構図。ゾンビランドの主人公の場合、彼にとって「ゾンビ」もゾンビになる以前の「周囲の人間」も、実はそう大差なかったわけなんですけどね。だからゾンビだらけの世の中になってもパニック起こさず普通に対処して生き延びられたわけで。ジェシーが演じるとその役は仲間はずれにされているのではなく、本人の中に世間一般との「ズレ」が確固として存在する故に必然的に孤立している風に見えるのですよね。だから仲間はずれにされててもさほど悲しくない。強がってるわけではなく、一緒にいたところで共通点がなければつまらないだけだと知っているので。
そのジェシーが今回演じたのはマジシャンなんですが、上記の性格設定がこれ以上しっくりくる職業って、これ以外ないんじゃないかと思いましたね。もう、ぴったり! マジシャンは周囲の人間から一人頭抜けた存在として舞台に立つわけだし、もちろん自分が何を考えてるのか悟られちゃあいけないわけです。いつも「何考えてるか分からない」ジェシー君にこれ以上似合う役はないですわ!
とにかくこの映画、キャスティングが絶妙! 俳優さん達を揃えた段階で、もう成功が約束されたようなものですわ(興行的にはともかく、作品として)。
だって4ホースメンの残る三人もジェシー同様、何考えてるのか分からない上、何故か周囲から浮いてる人達なんですもの。これって、マジシャン役の絶対条件だと思う。
まずウディ・ハレルソン。最近では「ハンガー・ゲーム」が印象的だったけれど、「ゾンビ・ランド」でジェシー君と組んだり、「2012」で怪しい火山ウォッチャーやったりと、役柄は幅広いと言えましょう。でもこの人って、どこか「素性の知れない人」なんだよね。風来坊とも違う、たとえ一カ所に長年住み続けていたとしてもそこに来る前は何をやってたか分からないといったタイプの役が似合うのです。周囲との関係は、ジェシー君が「人を人とも思わない」ならウディは「人をくった」というところ(カニバリズムじゃありませんよ)。写楽の浮世絵のように目をむいて大見得を切った顔で人を煙に巻いて……自分はちゃっちゃと違うところに行っちゃう感じかな(敢えて「逃げる」とは言いません)。「グランド・イリュージョン」でのメンタリストはまさにはまり役。彼の身体の大きさも実に説得力があってよかったです。こういう役はやっぱり人を見下ろさなくっちゃね♪ 威圧感というのも重要なファクターなんだと思いました。彼に見下ろされた人は、蛇ににらまれたカエルの気分を味わったことでしょう。
紅一点のアイラ・フィッシャー。彼女の演技は最近「華麗なるギャツビー」で見ましたが、それよりもアニメの「ランゴ」でマメータを演じた声の方が印象的。このキャラって、「次にどんな行動をとるのか予測ができない」人、じゃなくてサバクイグアナだったんですよね。本人(ヒトじゃないけど)、至って真面目で真剣なのに、自分の中に自分でも抗えない何かがあって、それによって思わぬ方向に突き動かされてしまうって感じでしょうか。予告でしか見てませんが彼女が「お買い物中毒な私!」で演じたヒロインもマメータに似て「次の行動がまるで予想できない人」に思えました。イリュージョニストを演じるにはまさにうってつけの雰囲気。だって、誰も思いもよらなかったことを舞台上でやってみせるのがイリュージョニストですもんね♪
アイラの役は4ホースメンの中では一番周囲に溶け込んでいるように見えましたが、そこがミソでね、彼女は「周囲の制止を振り切って突っ走る人」なのですよ。周囲に彼女を思って止めてくれる人がいないと、これは成り立ちませんから。どっちにしろ彼女もまた、周囲から逸脱する人間には違いないわけです。
一番若いせいか弟分に見えてしまうデイヴ・フランコ。彼は実際にジェームズ・フランコの弟なので、そう見えてしまっても無理はないのですが、お兄ちゃんによく似てハンサムな顔と可愛い笑顔の奥で何を考えているのか分からない人なのでした。綺麗すぎて得体が知れない感じ。表面的な容姿の美しさ以上に人間として何かありそうなんだけど、それが何かが分からない。善なのか悪なのか、それとも本当は何もないのか、まるでうかがえしれないんです。それは恐らく自分で心にシャッターをおろして、他人がそこに踏み込むのをシャットダウンしてるからなのでしょうが、あの綺麗な顔で人好きのする笑顔を浮かべられると幻惑されてその石のように冷たく固い心見えなくなってしまうのね。でも、何かがそこに隠されていることに薄々気づいてしまうのよ。だからどこか薄気味が悪く、得体がしれない。これ、兄弟共通。隠している物が黄金の魂なのかどす黒く染まった心か観客には分からないから、善悪どっちの役もできるのは俳優としての強みだと思います。「グランド・イリュージョン」のデイヴは4ホースメンの中では一番犯罪者に近い位置にいましたね。
デイヴ・フランコは先日「ウォームボディーズ」で見たばかりでしたが、「グランド・イリュージョン」の方がいい役だったな~。笑顔をひっこめると、これも兄ちゃんと同じくどこまでも暗い表情になれる人だから不幸が板について見えます。「ウォームボディーズ」ではその上自暴自棄。美しく生まれついた人特有の一種の傲慢さ、「他人が自分をどう思ってるかなんて気にしたこともない」って顔で不幸を振り回してました。
「グランド・イリュージョン」では、その美貌故に常に人に見られている状況の中で、どうやったら彼らに知られず自分のやりたい事を成し遂げるかとうことに腐心したように見えました。絶対見られてるんですから、その見られている部分をミスディレクションに使って「人を出し抜く」。彼の目から見ると他人は全部カモに見えるのかも……。
こういう4人が勢揃いして類い希なるマジック、壮大なイリュージョンを次々に見せていってくれるわけですから、この映画、おもしろくないわけがないのです。しかもそれを映像に仕上げるレテリエ監督のカメラワークがこれまたおもしろいんですね~~~。プロジェクション・マッピングといった最新の手法も駆使して迫力ある映像を見せてくれます。
ところで映像は最先端なのに、なんとなく映画自体のイメージは古風だったんですよね。古臭いというのではなく、昔風なの。60年代あたりの、端正な美男美女がエスプリのきいた会話を交わしつつ、でもその心の奥底までは踏み込まない……というか、深層心理とか潜在意識をまだ映画があまり描いてない時代の作品みたいな印象だったんですよ。
そう思った理由は主人公達の4ホースメンを筆頭に、登場人物達全員が自分の心の葛藤を見せてないからだと後から気づきました。そりゃあまあ、仕方ないやね。いろんな意味合いで「何考えてるのか分からない」のが4フォースメンでしたもの。何考えてるのか分からない人の心の裡なんて知るよしもありませんわ。
ただ、その細かい心理描写がないと、彼ら4人が何故4フォースメンになろうとしたかという動機がイマイチはっきりしないんですよね。それが一つの謎として物語りを最後まで引っ張っていく重要な要素のはずなのに、そこを深く追求せずさらっと流しちゃってるのがちょっと物足りない部分ではありました。その分軽くて、そこがまた楽しくていいわけなんですけど。
実は前日に「トランス」見てたんですが、似たような題材を扱っているのにあまりにも登場人物の内面深くまでえぐっているものだから、見ながら自分の潜在意識にまでおりていって、映画が終わった後までかなりしんどい思いをひきずってたんですよね。大変おもしろかったんですが気分が沈んだのも事実で、それを救ってくれたのが「グランド・イリュージョン」の軽さでありました。個人的に大いなる感謝を捧げたいところです。
あ、もちろん「グランド・イリュージョン」にもちゃんと葛藤はあるんですよ。それがないと作品としての深みも物語としてのおもしろさもありませんからね。ただそれが登場人物の内面を掘り下げるのではなく、表面的な行動として描写されているのです。
その葛藤を一手に引き受けていたのがマーク・ラファロ。言わずとしれた「超人ハルク」。「アベンジャーズ」では「僕には秘密がある」と静かな声で言うと、それまで穏やかだったバナー博士が「僕はいつでも怒っている!」と見る間にハルクに変わっていったものですが、「グランド・イリュージョン」ではハルクでもないのに大体いつも怒ってましたね。初対面の相手には突っかかるのが礼儀、行く先々で騒ぎを起こすのがレゾン・デートル=生きる意義、みたいな。
そんな彼の面倒をみるハメになるのがメラニー・ロラン。アメリカ男性でFBIの役のマークにとって彼女の役は、フランス人で女性でインターポールでという全ての面で気にくわない存在。その気持ちを隠そうともせずに彼女に当たり散らします。もう絵に描いたような、「最初は反発していた二人が次第に心を通わせるようになり、そして……」という展開が容易に予測されるのですが、マーク・ラファロ演じるFBIの態度があまりにひどすぎるので、どうしてこんなケダモノみたいなアメリカ男にフランス美女が心惹かれるのかまるでピンときませんでした。フランスには仕事熱心な男がいないから珍しかったのかしらね? 映画全体を通じて一番理解できなかったのがこのメラニー・ロランが演じたキャラクターです。言っちゃあなんだけど、あまりにもご都合主義的なキャラなのよね。まあ、確かに映画に謎めいた美女は必要だけどさ。その点彼女はぴったりでした。
メラニー以上に、俳優個人の存在感によって作品に深みを与えていたのがマイケル・ケインとモーガン・フリーマンのお二人。二人ともクリスチャン・ベイルのバットマンを心身共にサポートする役だったので、ここでもそういう立ち位置かと思いきや……。これらの俳優の使い方がすでに監督のマジックの手の内なのですね、「グランド・イリュージョン」。ミスディレクションは基本のき♪ 「やられた!」という気分ですっかり楽しませていただきました♪
映画の中で種明かしされてるマジックも幾つかあって、それらは全て古典的なもの。よく知られているトリックを使っても、マジックなら見抜けるのにイリュージョンだと分からない。その差は、スケール。自分自身が持ってるものさしが小さいと、壮大なイリュージョンははかれないんですよね。私みたいに貧乏人枠に閉じこもっていると、もうアカンです。「ルパン三世」クラスのでっかいスケールがなくちゃダメなのね……とシュンとしたところで、「グランド・イリュージョン」の監督は本家「アルセーヌ・ルパン」を生んだフランスのご出身だったことを思い出しました。そういえばどことな~くルパン的な、義賊的なイメージもありましたもんね、これ♪ そういう意味でも確かにこれは古風な作品なのかもしれません。
でも、おもしろいから!
壮大なスケールの中に映画ならではの楽しさが散りばめられております。映画見て悩みたくない人は、是非行って!
悩みたい方は「トランス」をどうぞ(いるのか?)